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正倉院展と興福寺 [美術館・博物館]

奈良国立博物館 東・西新館
「第66回 正倉院展」
会期:2014.10.24(金)~11.12(水)
訪ねた日:2014.10.24
書いた日:2014.10.28


毎年この季節、冷たさの混じり始めた風を感じるたびに、
奈良への郷愁にも似た想いが高じていてもたってもいられなくなり、
正倉院展へと足をはこぶことになります。

それが今年は9月も中ごろから涼しい日が多かったせいか、
つのる寂寥感もあまりないままに、
この後予定がいろいろ入っているため、万一行けなくなることを恐れて、
24日の初日に訪ねてきました。
(もちろん日帰りです)

正午過ぎに会場についたのですが、
並ばずに入れましたし、館内も正倉院展としては十分すいていました。
今まで30回近く訪ねていますが、
何故初日に来たことがなかったのかと、
悔やむほどの快適な状態でした。
(もちろん、あくまで正倉院展としては、です。
人でごった返してはいますが、
少し待てばどの展示も正面から見ることができる程度、
という感じでしょうか)

螺鈿やバチルといった華やかな出品が珍しいことにひとつもなく、
武具が多かったこともあり、全体的に大変落ち着いた展示でした。
鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)、桑木阮咸(くわのきのげんかん)といった、
ポスターやサイトのトップに使われているものももちろん良かったですが、
小さな子供と子犬がかわいくて大好きな人勝残欠雑張(じんしょうざんけつざっちょう)や、
柔らかな情趣の吹絵紙(ふきえがみ)との再会が殊更に嬉しかったです。

他に、上品なかわいらしさの暈繝錦几褥(うんげんにしきのきじょく)、
心躍る配色の雑玉幡(ざつぎょくのばん)などは、
地味に見える展示の中、
ぱっと華やぐものと感じられました。

また檜金銀絵経筒(ひのききんぎんえのきょうづつ)はその按配のよい大きさと堅固な質感、
施された線香花火がはぜたような愛らしくて品のある紋様に、
白橡地亀甲錦褥(しろつるばみじきっこうにしきのじょく)は織りの緻密な意匠に、
心惹かれるものがありました。

今回は天皇皇后両陛下傘寿の記念展だそうで、
特に聖武天皇の愛用品がいくつか出陳されていました。
中でも御床(ごしょう)とそれに敷いた御床畳残欠(ごしょうのたたみ ざんけつ)は、
それを覆ったという、上記白橡地亀甲錦褥残欠とともに、
なんとも言えない存在感を醸し出して印象的でした。

自分の寝床が千有余年の時を経て衆目に曝されようとは、
庶民よりも天皇位にあった方のほうが、
予想外の珍事と感じているかもしれませんね。

会期は11月12日(水)までです。
なお、本館(なら仏像館)は改修工事のため平成28年3月までを予定として休館中です。




さて、奈良博から出て、
例年通り興福寺の塔と国宝館の間の道を通って近鉄の駅に戻ろうとすると、
ふと、見たことのない光景が目に飛び込んできました。
東金堂の背面の扉が開いている!
しかも、観光客らしい一般人が出はいりしている!

さっそく東金堂の入場券を扱っている方に聞いてみると、
この日から一か月だけ、後ろの扉を開けている、とのこと。
不定期開扉で、前回は4年前だったそう。
それは行くしかないです。
迷わず入ってみました。

(最初東金堂の普通の入場券(300円)を求めて正面から入ったのですが、
後堂に入るには別途300円必要でした。
後堂のみ拝観することもできそうでしたし、
おそらく興福寺内の共通拝観券もありそうでしたが、確認していません)


いつも、現代人の感覚では大きな仏像群に対して奥行が狭すぎると感じる東金堂ですが、
背後から静かに入ればその狭い奥行ゆえに、
正面からよりも更に温もりのある近しさが嬉しいです。

像の柔らかな肩越しに見上げる格天井も、
正面扉からの光が映えて軽やかに明るくて、
思わず、ここに住みたい!と叫んで、
同行の旧友を驚かせてしまいました。

居並ぶ仏像が、重厚な建築が、
背後から見る、ただそれだけで、
緊張を解いた舞台裏の様に、
優しく澄んだ明るい空間を作り上げている面白さ。

平安時代の火災の際、自ら踊り出て消失を免れたことから、
踊り大将と呼ばれるという正了知大将立像と、
その背面の阿弥陀三尊像板絵も、
そんな親しい空間によく沿った明るいものでした。

こうして非常に満足して後堂を出たのですが、
敷居というのか桟というのかを跨いだところで、お寺の方が、
壁の像を見ましたか?と話しかけてくれました。
壁の像?・・・板絵のことと思って、見ましたと答えると、
どうも違う様子です。
何でもいいからとにかく見てきなさいと言われて、
首を傾げながら再度堂内へ。

太い敷居を跨ぎなおして何気なく後ろの壁を振り返って、
思わず、あっ、と声を上げてしまいました。
檀上に並ぶ十二神将が、正面扉からの光をうけて、
背後の白い壁に柔らかな影となって重なり合っていたのです。

この光景には感動しました。
うっかり涙をあふれさせて、旧友を本当に困惑させる始末。
今も目に浮かぶ、ふわふわと揺れるように優しく重なりあう、
影と光の仏の図。

たまたま見かけた後堂開扉、
たくさんの参拝客の中で偶然声をかけてもらえた僥倖。
そんな、出逢う、という旅の魅力そのものの高揚感もともなって、
白壁の影仏を見ながら、涙を流して笑ってきたのでした。




なお、前回が4年前、
つまり2010年にも東金堂後堂の開扉があったはずですが、
その年はどうしていたかとblogを見れば、
小五の子供を連れて行った年でした。
いつもの通りこの道を通って、そういえば五重塔の開扉は看板などで見て、
子供を促したのですが拒否されたので、
なんとか東金堂だけを見せたのを思い出しました。
あの時、五重塔のほうばかり向いて通ったせいで、
後堂開扉には気づかなかったようです。
遷都1300年祭でしたね。

調べてさえ行けば、今回も4年前もすぐわかる情報だったと思うのですが、
こんな出逢いは、またきっちり調べてた時にはない嬉しさがあって、好きです。



東金堂後堂
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会津八一の歌碑と鹿
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「はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり ほとけのにはに はなさくらしも」
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花食鳥と総合文化展 [美術館・博物館]

すずめとは、さくらの花を食べるものなのでしょうか。

穏やかな陽射しと時折そよぐ優しい風に、
さくらの花びらがはらはらと舞う中、
ふとその枝に目をとめれば、
すずめが無心に桜花をつついています。

つつくというより、花の根元を一心不乱に食いちきっているかの様。

もう、限界いっぱいに咲きほころんでいる花々は、
すずめのそのしぐさにたまらず一斉にわっと花びらを散らせていきます。

そんな中、ごくたまに散ることに耐えた花が、
食いちぎられた根元から、花の形をしたまま、
ふるふると落ちていくことがあります。

落下傘の様にくるくるくるくる回転しながら、
無数の花びらの乱舞の中、
惜しむ様にゆっくりゆっくり落下していく様は、
なんとも夢の様に美しく、
そして不思議な光景でした。


小さな桜花の舞は携帯で写せなかったので、
場所は異なりますが法隆寺宝物館へ行く道のイチヨウサクラの写真を。
八重桜で、この日満開でした。

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桜花散るその風景を見たのは、
東京国立博物館の、平成館と本館をつなぐ渡り廊下の様な一画。
普段は非公開の庭園に面した部分が緩やかな曲線を描くガラス張りになっていて、
すずめたちにも警戒されることなく、
少し高い位置から目の前の桜の樹を眺めることができるのです。


■ ここを通って平成館で特別展を見終えて本館へと移動する手前で、
小さい一室ながらいつも面白い展示の「企画展示室」を覗きました。
今回は「幻の動物 麒麟」(4/10~5/27)。

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瑞祥の霊獣麒麟を意匠にした、中国・朝鮮も含めた様々な工芸品から、
何故実在の「ジラフ」が「麒麟」となったかを推測させる史料まで、
龍や鳳凰といった他の霊獣をも網羅した、点数こそ少ないのですが興趣に富んだ展示です。
記憶に残った数点を。

明代の「五彩麒麟図皿」
前足に爪が見え、背に翼様のものもある、
という解説だったので、それらしきものはなんとか確認できたのですが、
肝心の顔や胴がどれなのかが判明できず、我ながら苦笑。
手前の大きなトンボの目玉の様なものがやはり麒麟の顔なのでしょうか・・・。

伝浄瑠璃寺伝来「十二神将立像 辰神」(重文)
80センチほどと小ぶりの、鎌倉時代の十二神将です。
剣を振りぬき様の前かがみの姿勢がたいそう格好が良く、
それでいて膝がすっと伸びているので品の良さに神性の宿る像でした。

「天寿国曼荼羅残欠(模本)」
中宮寺の天寿国繍帳の模本です。
原本はもっと綺麗だったはず。
それが第一印象です。
もっと糸に艶があり、補修を重ねて確かにボロボロでも、
もっと情趣に富んだ陰影があったはず。
少なくとも、制作当時のままの部分は。
正倉院展でも時々見ます。
当時のものもたしかに激しく傷んでいるものの、
明治期あたりにせっかく作った模造品のほうが、
はるかに見るかげもなく朽ちているのを。
人類が進化してきたとは、とても感じられない一瞬です。

「獅子・狛犬」(重文)
薬師寺蔵の平安時代の一対です。
小ぶりで背のすっと伸びた柔らかな姿。
狛犬として異形でありながら、
主の足元に控えるドーベルマンか何かを思いださせる、
体温や息遣いのある温かな存在に見えました。


■ 本館では二階2室、国宝展示室の、
「平治物語絵巻 六波羅行幸巻」(国宝)
が目的。
ボストン美術館展で同絵巻の「三条殿夜討巻」が公開されているのにあわせての展示。
静嘉堂文庫の「東洋絵画の精華」展で同「信西巻」が展示されるので、
平治物語絵巻の現存する3巻が、この時期同時に東京で見られます。

平治物語絵巻、現存3巻の鑑賞情報。
「三条殿夜討巻」
東博平成館「ボストン美術館 日本美術の至宝」展(2012.3.20~6.10)

「六波羅行幸巻」
東博本館2室(2012.4.17~5.27)

「信西巻」
静嘉堂文庫美術館「東洋絵画の精華」展(2012.4.14~5.20)

東博と静嘉堂文庫美術館とで鑑賞券の相互割引制度があるそうです。


■ 国宝室から戻り際、ふと覗いた特別1室で、目を惹かれる展示がありました。
「東京国立博物館140周年特集陳列 小袖・振袖図―明治四十四年特別展覧会の記録―」
ちょっと長い展示名で見ただけで敬遠しそうですが。

覗けば実物大の振袖や小袖の模写が、随分詳細に、
でも色彩は一部だけだったりするものが、展示されています。
他に草履や下駄、日本髪を結う時に中に入れる髱差(だぼさし)等の画も。
模写は37枚残るそうですが、長くこれが何なのか不明で、
近年の調査でようやく判明したそうです。

ほぼ百年前の明治44年(1911)に、
徳川時代の女性の衣装や服飾小物を全国から集めて展示したことがありました。
その時、後世の資料にと、集められた小袖や振袖の意匠を忠実に模写したものが、
今回の展示品となっているのです。
一緒に残されたモノクロームのガラス乾板写真のパネルも同時に展示されていますが、
カラー写真のない当時、色彩を残すには模写しかなかったのですね。

原品の小袖や振袖のほとんどが現在では所在不明だそうです。
その後の歴史を思えば、天災で、戦火で、そして貴富層の没落で、
当時上流階級のお譲さんたちが華やかに着飾っていたはずのこれら服飾品の末路は、
容易に想像がつく気がします。

消えてしまった華やかな時代の夢が宿っているのか、
資料を残すという仕事の誇り故か、
残された模写のすべてはどこか明るく透き通っているのです。

この展示は2012.3.27~4.22。
期間残りわずかですので、ご興味のある方は是非、見てください。


写真があまりに下手でしたが、参考までにこんな感じです。

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桐鳳凰図・東京国立博物館 [美術館・博物館]

今年のお正月に東博を訪ねたときのことです。

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(ゆりのきちゃん(右)とトーハク君。流行のゆるキャラ?)


本館入り口横に、迎春用の大きな垂れ幕がかかっていました。

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そういえば、去年もかかっていました。

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右側は、去年のものは光琳の風神雷神図から雷神、
今年のものは菱川師宣の見返り美人図。
誰でも知っている文化財といえますね。

しかし左側は、去年も今年も同じものなのに、私の知らない作品です。
江戸時代の画の一部かしらとぼーっと見ていたのですが、
あら?そういえば、
風神雷神や、見返り美人図と並ぶということは、同じくらい有名な図なのかしら?
もしかして、若冲だったり?!・・・
と近づいて見上げたものの、違います。

さあ、気になりました!

帰宅して東博のホームページを見ました。
でも、何も載っていません。
あたりをつけて過去の展覧会のカタログをめくっても、それらしきものは発見できません。
たぶん江戸時代の、きっと有名な画だと予想したのに、
わからないのが情けなくて・・・

すみません、どうしても気になって、お電話で問い合わせてしまいました。

なんと!

「友禅染掛幅 桐鳳凰図」

江戸時代(19世紀)の作者不詳の友禅染でした。


東博ホームページの「調査研究」→「画像検索」で、
半角で「I-42」を検索すると画像が出てきます。
(そちらでの作品名は、
「桐に鳳凰図友禅染掛幅」
になっています)


そして、この実物が今年の2/26まで本館10室にて展示中、と教えて頂いたので、
見に行ってきました。

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写真は不出来ですが、実物はものすごく精緻で目を見張るものです。

地を踏みつけ力強く振り向く鳳凰の、落ち着いた中にも鋭さの宿る気品、
印象的な長い尾羽の弾む様な存在感、
対照的に尾のつけ根からふわふわと風になびいて踊り出る細い羽根の柔らかい優しさ、
それら総てが、ガラス越しでも見てとれる極微で繊細な筆遣いで描き込まれています。
さして大きくない掛幅ですが、背後の桐の葉や花、余白まで魅力的で、
物凄い勢いで心を掴み取られました。

技法については、私には語れる素養がありませんから、
染織なのにとか、染織だからとかは、言えません。
そんなことは関係なく、凄く好きになりました。
(表装含めて総て友禅染だそうです)


ちょっとした興味から問い合わせたことでしたが、
心ひかれるものとの出会いは、とてもとても幸せでした。
お伝えするには力もないこの場ですが、
あらためて、お礼を申しあげます。

次に展示されるのがいつなのかわかりませんが、
再会を心待ちにしています。



なお、垂れ幕を見て、最初に若冲かも?と思ったのは、
鳳凰図で有名なことももちろんですが、
皇室の名宝展(2009年東博)の「紫陽花双鶏図」や、
対決!巨匠たちの日本美術展(2008年東博)の「仙人掌群鶏図襖」に、
印象の似た、片足で地を踏みつけ下から睨み上げ、尾を跳ね上げた図があったので、
それらが記憶のどこかに残っていたせいなのかもしれません。
どちらも鶏ですが。

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2011年奈良(2)-正倉院展・興福寺国宝館 [美術館・博物館]

奈良国立博物館
「第63回 正倉院展」
会期:2011.10.29(土)~11.14(月)
訪ねた日:2011.11.5
書いた日:2011.11.14


東大寺を戒壇院から出て南へ。
風情ある路地を通って依水園へ抜け、そのまま奈良博の正倉院展へ。
途中知事公邸を見つけました、勿論中は覗けませんが、
こんな場所にこんなゆかしい邸宅、さすが奈良です。

到着したのは午後1時頃でしょうか。
なんと、並ばずに入館できました。
25年以上通って休みの日の昼過ぎに並んでいないことなど記憶にありません。
雨とはいえ、大丈夫なのか・・・と、中へ入ればほぼいつも通りの大混雑で、
ついほっとしてしまいました。

遷都1300年祭で螺鈿紫檀五弦琵琶などの出た去年に比べて、
たしかに今年は香木や薬関係、繊維製品と、多少地味に感じても仕方ないかもしれません。
そして、すいている方が鑑賞には良いにきまっています。
でも、長く興福寺との境まで伸びた行列のためのテントが白く雨に打たれているのを見ると、
あまりに人気がなくなるのは哀しいと思ってしまいます。



中に入るなり椅子めがけて走り、座り込んで動かない息子に、
絶対見るよう言い含めて見せたものたちは以下です。


金銀鈿荘唐大刀(きんぎんらでんそうからたち)
質朴と豪華をあわせもつ大刀だと思います。
唐草模様の透かし彫り金具を効果的に配置した金蒔絵の鞘は、
華美になりすぎないおさえた魅力で時の風格を示します。
ほぼまっすぐな刀身は細身で、何故か柔らかそうにすら見えます。
透かし彫りにはまるガラス玉のほとんどが明治の新補だそうで、
往時の実物は如何であったかと、こればかりは残念です。


黄熟香(おうじゅくこう)
「東大寺」の3文字を隠した蘭奢待(らんじゃたい)という名前で有名な香木。
小柄な人の背ほどの長さがある意外と大きなものでびっくりします。
伝来や宝庫に入ったいきさつは不明瞭で、正確に記録に出てくるのは室町時代以降だそう。
各時代に少しずつ切り取った痕跡があり、
足利義政、織田信長、明治天皇の三方は、切り取った場所に付箋が貼り付けてあります。
義政と信長の場所に関しては根拠に乏しく、また、切り取らせたとしても本人の手が入ったかどうか、
それも定かではありませんが、自然木のごそっとしたそっけなさの中に、
多少不器用な四角い切り口があるのを見ると、
確実に誰かが守り残し、誰かが削り取ったという実感が沸いて、
そこに切り取った人が立つような、なんとも不思議な気持ちになります。
近年の調査では、今でも当初の香りを留めているそうです。
生涯に機会があれば、是非この香を楽しんでみたいものです。


七条織成樹皮色袈裟(しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ)
聖武天皇が実際に出家後に使用したと考えられる樹皮状の模様の袈裟。
本来ハギレを縫い合わせて作る出家者の粗末な衣装、糞掃衣(ふんぞうえ)を、
精緻な技術で「まるでハギレをつなぎ合わせたかの様に」織り出したもの。
ハギレをつなぐと言っても今の簡単なパッチワークとは別もので、
不定形に複雑にはぎあわせた様に織り出していて、模様がまるで樹皮に見えるのです。
カタログにその特殊な織りの技法が説明されていますが、
織物素人にはどうにも理解ができません。
美しい模様を織り出しながら、通常の綴織より強度も増したものだそうです。
しかし、この袈裟を見れば織りの技術がわからなくても、
なんと手の込んだ、それ以上に心のこもった織物だろうと、ため息が出ます。
羽織った聖武天皇よりも、帝の御為にと寝食を忘れ命も削って織ったかもしれない、
そんな名前も残らない織り子さんの姿が浮かんできます。


紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)
撥鏤ばちるとは、染めた象牙に極細の線で模様を彫り出す技法。
これは紅く染めてあるので紅牙。
尺とあるのはものさしのことで、儀式用だったと思われます。
紅色の撥鏤尺は宝庫に六枚伝世し、私が特に好きなもののひとつです。
絶対的な品格の下の、自由で可愛らしく、奔放でありながら精緻な模様ももちろんですが、
色が。
この紅い色が物凄く好きです。
どこまでも鮮やかで激しく、見る者の胸をたぎらせるのに、
同時に果て無く深く沈みこんで静謐。
こんな印象的な紅は、蜀江錦とこれでしか見たことがありません。


今回、文書に興味深いものが出ていました。
昨年、明治時代に東大寺大仏の右膝付近の蓮華座下から出土し、
東大寺金堂鎮壇具の一式として国宝指定されていた二口の剣が、
天平時代に正倉院から出蔵されたまま行方知れずだった、
(そして国家珍宝帳に「除物」と付箋がつけられていた)
陽宝剣、陰宝剣に相当することがわかり、大変話題になりました。
その二口の剣が出蔵された時の、天平宝字三年十二月二十六日付けの書類、
それが出陳されました。
人が守り伝えて、今も大切に守り続けているからこその、
1250年ぶりの失せ物発見と、その証拠の品々です。
坊さんや宝物の管理責任者の署名を眺めていると、いろいろ感じるものがあって、
生きることの不思議さにまで思考が飛んで行きます。


息子の中に、何か残るか、何も残らないか、
それはわからないことですが、見せてやれたことだけでも、
感謝します。
遺して伝えて見せてくださった、総ての時代のすべての方へ。



ごちゃっとした写真ですが、カタログとチケット(小学生用)、
それから入り口で頂ける、読売新聞の特別号。
漫画も多用されていて、子供にわかりやすい内容です。

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正倉院展を出てからは、いつもの、あの道は名前があるのでしょうか、
博物館の敷地内の、まっすぐ行けば興福寺の東金堂と五重塔の間に出る道を戻ります。
去年は、春(2010年3月)に新装開館したばかりだったせいか、
かなり並んでいたのでやめておいた、国宝館ですが、今年はすぐに入れそうだったので、
途中で抜け道の様なところを右に折れて行ってみます。
子供には「阿修羅に会えるよ!」と言うと、少しばかり興味を示しました。


ここの「リニューアル」も、気になって気になって仕方ありませんでした。
報道で見る限り、あまりに阿修羅中心になってしまっている様で・・・
どれほどの様変わりかとおそるおそる足を踏み入れたのですが、
ここでもまた、浅はかな想像に恥じ入る嬉しい結果に。
入り口も動線もそんなには変わっていないのですね。
何より、あの大きな千手観音像が動いていなかったのでほっとしました。
かつて目線より下に置かれていたことがあった気がする山田寺仏頭も、
居場所を与えられて温かく上を向いていました。

並ばずに入れた割にはやはり中はごった返しで、
最後の部屋に、千手観音と向き合う様に一列に並ぶ八部衆とは、
そんなにゆっくり対峙することは叶いませんでした。
けれど、狭いけれど落ち着いた場所に立つ姿は、安心しているかに見えました。
五部浄だけケースの中で、あの像は光の加減で本当に表情が変わりますが、
今回は、とても思慮深い目をしていました。
何を考えていたのでしょうね。

ちなみに子供は、阿修羅をこれまた憤怒の強烈な像と想像していた様で、
案に相違した(彼と変わらぬ)子供の様な姿だったため、またしても拍子抜けした様子。
本尊千手観音像のほうを気に入っていたようです。


国宝館を出て、興福寺境内を歩きます。
大きな覆い屋に包まれて、中金堂の再建が進められています。
中からは、耳を裂く重機ではなく、木を打つ槌の音が心地良く響いていました。
たまたまそういう工程にあたっただけかもしれません。
でも、なんとはなしに、ゆかしく感じました。




宿泊は久しぶりに、奈良ロイヤルホテル。
http://www.nara-royal.co.jp/
いい加減ユース・ホステル卒業の年齢になった頃、
ホテルなのに天然温泉(大浴場)があるという理由で選んでみました。
平城宮に一番近いホテル、という売り込みですが、今回は窓からの展望のない部屋。
そのお詫びにと、テーブルの上にたくさんのキャンディが置かれていました。
なんでもないことで、なんでもないものですが、なんとなく嬉しいものです。

ここは団体さんを見かけたことがないのも、たまたまかもしれませんが個人客には気が楽です。
スタッフの皆様親しみやすくて、私の様ないかにもお金のない旅行客、
しかも子連れ、などにもあたりが柔らかで居心地がよいのです。
それから、朝のバイキングが予想外に美味しかった^^
古い建物らしくオートロックではなく、部屋着も昔ながらの帯をしめる浴衣で、
今風のホテルに慣れた若い方には不便なのかもしれませんが。

(このホテル、私が利用していなかった間に、
会社更生法をうけて自主再建なさっていたようです。
読んでいるとドキドキしますが、よければどうぞ。
http://www.nara-royal.co.jp/story/

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飛鳥遺珍-のこされた至宝たち- [美術館・博物館]

飛鳥資料館
「飛鳥遺珍-のこされた至宝たち-」展
会期:2011.10.14(金)~11.27(日)
訪ねた日:2011.10.20
書いた日:2011.10.21


9月末の新聞で、飛鳥資料館で面白そうな展示があることを知りました。
公式サイトを確認しに行くと、

「(前略)飛鳥に由来する多くの文化財が、今日、日本各地の博物館や研究所に分散して保管されています。
今回の展覧会は、そうした明日香村外に保管され、普段はまとめてみることはできない飛鳥の至宝ともいうべき文化財のいくつかを一堂に集めて展示しました。(後略)」

好奇心と郷愁をかきたてられるに充分な惹句です。
いてもたってもいられなくなり、子供が修学旅行に出かけた一日を使って行ってきました。
もちろん日帰りです(笑)。

ちゃんと飛鳥に入ったのは、いつ以来でしたか・・・。
随分若い頃、近鉄橿原神宮前駅からひとりでてくてく歩いて飛鳥入りしたことがありましたが、
今はとても・・・もはや自転車もやめておいたほうが良い年齢になってしまいました。
かめバスというバスがあると聞いていたので探したのですが、
「運行は○×にお問い合わせを」と時刻がよくわからない謎の記述があり・・・
めんどくさくなったのでタクシーで飛鳥資料館へ。

その運転手さんがしきりと、あすこはほとんど働いていない、その証拠に門が半分しか開いてない、
中に入ったら本物とレプリカの区別をして見なければいけないなどと(そうでしたね(笑))、
笑い話のように話してくれまして、随分詳しそうでしたが、特別展のことはご存知なかったそうです。
なんとなく危険な予感・・・。

はたして中に入ると、復元漏刻の模型がどんと展示してありまずが、
館内は閑散。
展示も動線が滅茶苦茶で、常設展示に今回の特別展の展示品が混ざっていたりして、
普段お邪魔しない私には、判別できない有様。

特に、岡寺の天人文甎(せん)を楽しみに訪ねたのに、
一階にレプリカと、その隣に鳳凰文甎の写真があったので、
一瞬、これだけかと真っ青になりました。
本物の天人文甎は地階にちゃんとあり、その隣には鳳凰文甎のレプリカが並べてありました。
ややこしい・・・一階は常設展示なのでしょうか、
せめてこの期間、本物は地階にと書いてもらえれば・・・。

更に目玉展示のひとつのはずの「小治田」墨書土器も、
1階の最初の部屋では写真だけの展示、
実物は奥の別の部屋にありました。

また、カタログの裏表紙に可愛らしいハート形の「坂田寺跡出土水晶」の写真が使ってあったので、
これを見なければと探しにいくと・・・
そもそもが小さいものですが、展示ケースの2枚開きのガラス戸のあわせ目に隠れ、
かつ、「坂田寺出土云々」の展示名カードのすぐ裏側に置かれているため、
ほとんど見えません。
伸び上がってのぞきこめば、透明の物体であることはわかっても、
角度の関係でいびつな丸型になり、ハートの形にはまったく見えませんでした。
なんて残念な・・・。
展示位置を少し動かせばよく見えるはずなのでよほどその場で学芸員さんにお願いしたかったのですが、
モンスター観覧者になる勇気もなくて、アンケートに書いてくるに留めました。
読んでくださるといいのですが・・・とてもとても心残りです。




なんといいますか、都内の最新設備の整った博物館・美術館の、
設備のみならず手の心の行き届いた展示とは、比べるのも申し訳ない有様です。
かと言って、私の好きなかつての雑然としながらも知識の宝庫としての尊厳のあった、
古い形の博物館とも違う、この寂しさは何なのでしょうか。
随分以前に訪ねたときは、こんな印象はなかったはずなのですが・・・。


けれどしかし!
展示品は良いのです。
それから説明板も。
最新の情報なのかどうかまではわかりませんが、
詳細で知識欲を満足させてくれます。
そのためか、いかにも古代史マニアという風情の、
お一人でいらしてる年配の男性が多かったようです。
平日の昼間でしたしね。


さて、特別展に来ていた、天人文甎。
なんてほのほのと、柔らかく優しいのでしょう。
ふうわりと天から降り立った天人の、眉のあたりに漂うほっと眠たい様な安堵感まで、
天衣を翻す風とともに伝わってきます。
少女の、抱きしめればほろほろと崩れてしまいそうな、
あやうい体の温かささえ、たぷっとした衣越しに感じられます。
どれほど私はこの甎が好きか。
この、焼き物に閉じ込められた天の人のかそけき命が好きか。
たったひとりになってしまっても、誰かに、何かに、永遠に供奉する姿・・・。

春にサントリー美術館で鳳凰文甎を見ていますから、
久しぶりに満足しました。
ふたつが同時に並んでいるのを見たのは、もしかしたら、
平成8年4月の群馬県立歴史博物館「謎の大寺・飛鳥川原寺 白鳳の仏」
が、最初で最後かもしれません。
ともに岡寺で発掘されながら、今は所蔵を異にするためなかなか並んで見ることはできない様ですが、
約40センチ四方のこの甎仏で荘厳されていた床かあるいは須弥壇の腰などを、
遥かに想像するのは楽しいことです。


それから、古宮遺跡出土金銅四環壺。
古宮(ふるみや)遺跡は雷丘の反対側、飛鳥川の西岸にある遺跡だそうですが、
そこから明治時代、田仕事の最中に掘り出されて宮内庁お買い上げとなった、
最大直径40センチを越える堂々とした金銅の壺です。
見たときは、さすが宮内庁、と舌を巻きました。
もちろん、お買い上げだから素晴らしいという意味ではさらさらなく、
やはり、良いものを買っていくのだなあとしみじみ思ったわけです。

張りのある豊かな丸みはぽんぽんと跳ねそうなほどで、
写真ではなく是非実物で確認してほしい逸品です。
更に、肉眼ではほとんど錆で見えなくて残念ですが、
ところどころ垣間見える線刻の素晴らしさときたら、
全体が判明したらどれほどかと。
置かれているだけで、空気が清浄になるかと思うほどの、
香気漂うものでした。

胴部分に大きく大小対の鳳凰が2組あしらわれているそうで、
壁にその一部の線画が提示されていたのですが、これまた不親切で、
壺のどの面、どの部分にそれがあるのか、わからない。
周囲をくまなく眺めつくしてきましたが、とうとう、鳳凰の一部も見つけられず終いでした。

実は、そばにいた警備員のおじさまに聞いてみたら、
ニコニコと「ここらへんにあるって聞いてるよ」と指し示して教えて下さったのですが、
それは、壺の展示からいくと、真裏で・・・ほんとかなと思いつつも特にじっくり見てみましたが、
裏なので逆光になり、全然見えませんでした。


そして、法隆寺献納宝物から、
台座背面に「山田殿像」の銘のある144号、阿弥陀如来および両脇侍像と、
台座の蓮弁に檜隈寺の軒丸瓦と同様の火炎紋のある149号、如来立像。
東博法隆寺宝物館でいつでも会える2組ですが、この記述を見れば、
今、飛鳥の地で見える(まみえる)意味の重さが、心に迫ってきます。

「約930年ぶりの里帰り」

法隆寺献納宝物は明治11年(1878)、法隆寺から皇室に献納されたものが母体です。
そして法隆寺には、承暦2年(1078)、橘寺から49体の金銅仏が移入されています。、
つまり、現在の献納宝物の中には、930年ほど前に橘寺から移入されたものが含まれている可能性があるわけで、
今回選ばれた144号と149号は、言うまでもなくその可能性の高い2組です。

なので解説文の全文は、
「今回の資料が橘寺由来のものであれば、承暦二年以来、約930年ぶりの里帰りとなる」
です。
それでもやはり、見慣れたはずの2組の像に、
ひさしぶりの飛鳥は、どうですか?変わってしまったでしょう、
それとも、東京よりは、往時の面影が残っていますか?
など、人に聞かれでもしたら気が触れたと思われかねない会話を、
頭の中でずっとし続けていました。


展示は他にも、高松塚古墳、キトラ古墳、石舞台古墳、牽牛子塚古墳、他各遺跡出土品など、
古代史好きにはたまらないものです。
会期中無休ですが、石神遺跡出土具注歴木簡と飛鳥池工房遺跡出土「天皇」木簡のみ、
11/3(水)~13(日)の展示で、その他の期間はレプリカですのでご注意下さい。


飛鳥資料館、かめ石レプリカ越しに。

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今回特別展、入り口の看板。

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なおなお、常設展示に予想外のものがあって嬉しかったりしたので、
飛鳥での半日とともに、後日また書きたいと思っています。

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円空こころを刻む [美術館・博物館]

埼玉県立歴史と民俗の博物館
「円空こころを刻む-埼玉の諸像を中心に」展
会期:2011.10.8(土)~11.27(日)
訪ねた日:2011.10.14
書いた日:2011.10.14


なんとなく無性に博物館へ行きたくなり、
都内まで出るのは無理なので地元の博物館へ行ってきました。
円空仏展をやっていました。

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あとで調べたらぴったり1年前に「埼玉の古代寺院」展に行っていたので
この季節、何か呼ばれるものがあったのかもしれません。


さて、円空仏。
かつては、ザクザクとナタを入れただけの「荒い」作品、
発願12万体の完成のためにはいた仕方ない「雑な」完成、
そういう印象をもっていました。
その荒削りさが素朴で、原木の味わいを残して良いのだろうと。

なのに今日見に行くと、大小あわせて170体ほどのそのどの像も、
みなとても手が込んでいるように見えました。
いえ、もちろん、天平仏の様な、
近代的な美意識をも満足させ得るものとは違います。
木の中の仏をどうえぐり出すかと考えに考え抜いて、やがて違うことなくノミを入れた、
その作業が見せる不思議な手の込み様を感じたのです。
まさに「こころを刻む」ものでした。


かつて、稚拙な顔の彫り、均衡や安定感を無視した体躯、
ささくれた様なノミあと。
それが親しみやすくて人気なのだろうと・・・
どうして私は、ずっとそう思っていたのでしょうか。

軽やかに刻まれた顔の線はそれだけで神がかり、
流れる様な縦の線、それを力強く支える横の線で明快に構成された体は、
そのままなにものかの魂を内包しているとしか見えませんでした。
そしてなんと艶やかなノミの跡!

あまりに印象が違うので、ここ埼玉に残る円空仏は特殊な時期のものなのかと、
ふと疑って帰宅してから調べてみましたが、
少なくとも2006年東博の「仏像 一木にこめられた祈り」で見たものと、
同じ作品が幾点もありました。
すると、私自身が変化したということでしょうか。
少しずつ、ちゃんと生きてきた証左であればいいと思いました。


現在に残る円空仏といえば、岐阜や愛知が有名だそうですね。
埼玉は実はその2県についで、数多く所在が確認されている県なのだそうです。
でもそのほとんどが、在所の小さなお寺やお堂、そして個人蔵。
お家の仏壇の横に大事に置かれていたりするそうで、
もちろん常時は非公開です。

それが、このたび埼玉県立歴史と民俗の博物館(旧埼玉県立博物館)の、
開館40周年を迎える節目として、県内諸所の協力で集められたそうです。
もちろん他県から出陳のものも多くありました。
展示は背面の見えるものもあり、板目や原木そのままの背がわかるなど、
170点という数とともに、大変おもしろいものとなっています。


私が気になったのは、
頭上面がどう数えても12ある「十一面観音菩薩坐像」と、
かつて子供の遊び道具だったため表面が摩滅してしまったという観音菩薩立像と菩薩形立像。
前者はお面の数の不思議とともに、お顔がとても可愛らしいのです。
後者はそのいわれの面白さと、それが高さ1メートル前後ある大きなもので、
これを子供たちがどう遊んでいたのか、非常に気になったのでした。

それからカラスのクチバシの様な三角形の顔面が印象的な各種神像。
名前は護法神像、稲荷神立像、秋葉大権現、迦楼羅神立像など異なっていましたが、
なんとなく同じ雰囲気を感じます。
禍々しいもの、禍々しいものへの畏怖、そして禍々しいものの調伏、
三者をひとつの身で表現したような雰囲気でした。


なお、1632年美濃国に生まれ、1695年に亡くなったといわれている円空が、
生涯のいつの時期に埼玉に来てこれらの作品を遺していったのか、
紀念銘入りの作品も、資料も伝聞も残らないためほぼわからないと言って良いそうです。
ただ、県東部、日光街道近辺に多く確認されていることから、
日光での活動との関わりが考えられているのだそうです。


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空海と密教美術展 [美術館・博物館]

東京国立博物館
「空海と密教美術」展
会期:2011.7.20(水)~9.25(日)
訪ねた日:2011.9.9
書いた日:2011.9.10


夏休みの間は動けなかったので、会期終了も近くなった昨日、
やっと訪ねてきました。
あまり前もって情報を得てはいなかったのですが、
東寺の立体曼荼羅が再現されるのと、
兜跋毘沙門天がやはり凄いというのを聞いて、
期待半分、不安半分で足を踏み入れました。

金曜日の10時すぎに到着すると、並ばずに入館はできましたが、
中が混雑していてまず第二会場へと誘導されました。
しかし、入り口の階段を上がってすぐ右手に垣間見えたのは、
彼の帝釈天の涼しげなお顔!
引き寄せられる様にその部屋に入るのに何の躊躇がいりましょうか。
落ち着いて確認するとそこは最後の部屋だったので、
見事に逆走したわけですが・・・会場の方、すみません。
でも、お陰でまだそんなに混雑しないうちに、
東寺(教王護国寺)講堂の立体曼荼羅を堪能できました。

最近の東博の展示の例にもれず、
緩やかに傾斜するスロープを利用して、
部屋に入った者はまず遠目に全体像を把握、
その後スロープを降りきって、各像を間近で拝観できる、
という会場構成になっています。
来ていたのは、

手前中央に、降三世明王立像 と 金剛法菩薩坐像、
その奥に、大威徳明王騎牛像 と 金剛業菩薩坐像、
手前左右に、増長天立像 と 持国天立像、
奥の左右に、帝釈天騎象像 と 梵天坐像。

計8体です。
もちろんすべて承和6年(839)作、国宝指定。
(講堂の21体の中には江戸時代の新補像もあります)

東寺講堂では、狭い堂内に21体もの像がひしめき、
初めて足を踏み入れた時の異様に濃密な空間への怖れを伴った驚愕が、
その後何度訪ねても変わらず続いたものです。
さすがに、東博では、照度を落とし雰囲気のある演出を手がけているとはいえ、
1体1体を充分に離して展示し、また、近年非常に進歩したと思える照明効果も相俟って、
あのおどろおどろした「何かがある」としか表現のできない空間は、
微塵も感じることは出来ませんでした。
けれど、その分、像そのものの素晴らしさはとても良く伝わってきます。

降三世明王、背後にまわると、輪形の光背からちょうど後頭部の御顔が覗いていて、
まるで梟首の様で凄まじかったです。

持国天、解説板に、最も怖い形相の四天王像、というような記述がありましたが、
像の前を通ると、舌なめずりするその舌がぬらりと光るかの様な口の表現など、
思わずぎょっとして声を上げそうになります。
「最も怖い形相」の評に違わぬ素晴らしさでした。

増長天、非常に優雅に身を揺らして首を左にまわす姿は品の良い威厳に満ち、
動きそのものから得難い徳の高さ感じました。

そして帝釈天。
良いお顔です。
他の像に比べると、粘りつく様な濃い「気」とでもいうものを感じなくて、
その分、すっと心に近づきやすいと思うのですが、もしかしたら、
「頭部がすべて後補のもの」のためなのでしょうか(『もっと知りたい東寺の仏たち』東京美術)。
それにしても、良いお顔です。
生きていくことに手を煩わされずにすむ貴人というのは、
このようなお顔をしているのではないか・・・と思わせられます。
いくら見ていても飽きませんでした。

この帝釈天、乗っている象の脚の表現が面白いです。
そもそもが短脚なところに、皮がたるみにたるんで地面につきそうです。
瀟洒な帝釈天が乗るにしては、土臭い。

また、足元でいえば、降三世明王の踏みつける二人、
ヒンドゥー教の最高神の一人シヴァ神とその妃ウマだそうですが、
自分を夫もろとも容赦なく踏みつける降三世明王の右足に、
ウマの左手がとてもとても優しく触れているのが妙に印象的。
何か意味があるのでしょうか。



さて、一室の感想だけで長くなってしまいました。
次は、今回のもうひとつの目的、兜跋毘沙門天立像。
いつの年の秋でしたか、何心なく立ち寄った東寺で出会ったこの像。
その緊密な表現に一目で心を奪われました。
何ですかこの、光さえ閉じ込めて放さないというブラックホールの様な、
形ある物も形無き思いも総てをぎゅっと凝縮して固めたかに見える密度感は。
元は羅城門に置かれて外敵退散を求められていたという伝があるそうですが、
寄せ来る総ての厄災を、身一つに受け入れ閉じ込め続けた果ての姿なのでしょうか。

その、最初の邂逅は、表現上「カビが生えた様な」と書くと一番よく伝わる、
古めかしく雑多な展示室の一室に無造作に置かれていて、
案内の小さな紙きれをよくよく見たら国宝指定だったのでびっくりした、という思い出深いものでした。
今回は程よい演出と照明で、暗い室内に鮮やかに浮かび上がったお姿との再会です。
凄いです。
いっそ凄絶と表現したくなる密度の濃さです。

特徴的と言われる西域式の武装束、金鎖の編みこみや蝦の様な手甲の表現は、
緊密すぎてもう、毘沙門天の身と一体になり、決して着脱できないに違いありません。
さながら蛇の鱗を持つように。
長いその甲冑の下には、どうしたことか、
今の世なら「少女趣味」と評されるに違いない甘やかな裳すそが、
これでもかと言わんばかりにふりふりひらひらと覗いています。

お顔はというと、ひん剥いたギョロ目の視点はあわず、
上歯をむき出した口元は中途半端に小さく、怒っているよりは当惑した体。
鼻上の大きなしわだけがよく目立つという、
異形じみたあまり好まれるものではないかもしれません。

だけどというより、だからと言ったほうがいいのでしょうか。
胸元高くにくびれた腰から、大きな下半身がゆっくりくねる立ち姿には、
人たる身には決して手の届かない異次元感が漂って魅惑的なのです。


さてこの「空海と密教美術」展ですが、
ひと通りまわって気づいたのはほとんどが国宝か重文。
仏像だけでも、仁和寺の阿弥陀如来および両脇侍像、
醍醐寺の薬師如来および両脇侍像など、とても都内で拝観できるとは思えない像が並び、
風信帖はじめ現存する空海直筆の書5件が出るなど、
とても書ききれないので、感想はたった二点だけでお終いにしますが、
見応えという意味ではこれ以上ない極上の展覧会です。
昨今はHPのみならず公式ツイッターも配信されているのを会場で知り、
帰宅後フォローを入れてみると、

「「空海と密教美術」展、ポスターには国宝・重要文化財98.9%となっていますが、
展示替えにより現在は100%となっています。貴重な密教美術の数々をぜひご覧ください」
(9/4)

というツイートを見つけました。
凄いことです!
展示替えはこの後も行われるのでずっとこうではないかもしれませんが、
とにかく凄すぎます。
終了まであまり時間はありませんが、とてもおすすめの展覧会です。


最後に追伸的に・・・。
夏前に入り口の門入ってすぐの露天に置かれていてびっくりした、
大震災の文化財レスキュー義援金募金箱、
今回は平成館の出口にひっそり置かれていました。

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春からずっと、上京するときは地震の可能性を改めて頭に入れてでかけますが、
今回など、立体曼荼羅の最中にいるとき、もし今大地震がきたら・・・と考えると、
人命の何より最優先は当然でありながら、
それでもやはり、私ごときの命ひとつと、
ここに並ぶ像とで、どちらが優先されるべきなのか、
考えてしまいました。
どのみちあと50年もつかどうかのどこにでもある命と、
1000年を越えて守り伝えられてきた唯一の物と。
永遠の課題です。


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鳳凰と獅子 [美術館・博物館]

サントリー美術館
「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」
会期:2011.6.8(水)~7.24(日)
訪ねた日:2011.6.15
書いた日:2011.7.4

開館50周年記念「美を結ぶ。美をひらく。」 の2つめの展覧会です。
鳳凰と獅子、どちらも富、力を含めた高貴の瑞祥として、
古代から日本人の生活に取り込まれてきた、いわば見慣れた意匠。
どんな展示になるのか見当もつかず、さして惹かれもしませんでしたが、
鳳凰文磚(セン)が出ると知って、飛んで行ってきました。

会場入り口すぐに展示されていた鳳凰文磚。
やはりこれは、抜きん出た魅力があります。
約40センチ四方で厚みが8センチ、
どっしりと存在感のある磚は、一般に「タイル」と解説される印象より、
よほど大きくて重厚です。
薄い浮き彫りで刻まれた一羽の鳳凰は向かって右を向き、
優しい弧を描いて上方に開いた両の羽根は可愛らしく、
その羽根と円を作る様に跳ね上げた丸い尾羽根とで、
微笑をたたえた雄大で完全な世界を作っている様に感じるのです。

それなのに、これは、一つの美術品、または一個の信仰の対象として作られたものではなく。

現在南法華時所蔵だそうですが、もとは岡寺での発掘品。
対の様に存在する優美な天人文磚とともに、仏院の床か、むしろ須弥壇の腰などに、
「タイル」として装飾されてずらずらと並んでいたはずです。
壊れ残ったたった一枚がこんなに完全なのに、更にそれらが集合して構成された空間とは、
どんな間だったのでしょうか。


さて、目的のものを見た後は展示品をざっと・・・と思ったら、
予想外に面白く、ひとつひとつ足を留めさせられるだけでなく、
全体の構成がとても魅力的でした。
まずおおざっぱに、鳳凰も獅子も、
古代は神性の中に愛らしくも見える親しみやすさが含まれ、
時代が下るにつれて研ぎ澄まされた造形美に神々しさをまとっていくものの、
江戸半ばをすぎると急激に下卑たものになる、と。
ものすごく直感的な個人の感想です、嘲笑覚悟です。

もともと想像の鳥鳳凰はともかくとして、伝聞で憧れた獅子のほう、
実物を見ていないが故に神聖化が可能だったものが、
西洋から写実的なライオン図がもたらされたことで、
人間の支配下におこうとして下卑てしまった・・・というようなことを、ふと、
第11章、蘭学興隆から幕末へ、の一連の獅子図を見て思いました。
写実の図を見て描いたと思われるそれらは、
我々の目から見れば実物にはほど遠いにも関わらず、一様に神性を捨て、
獣性とでもいえる、生臭いものをまとっています。

それが明治に入り、上野動物園に実物のライオンが来くる頃からは、
竹内栖鳳の大獅子図の様に、写実的でかつ品格溢れるものとなっていくのが、
また面白いと思いました。

竹内栖鳳、大好きな画家さんです。
この大獅子図は、絹本着色の日本画ですが、
優雅に身を横たえて遠方を望むライオンを、
等身大かそれ以上の大きさでとても写実的に描いたもの。
近づけば剥いた牙がこちらを威嚇しそうで、
触れば少し硬めの毛がふさふさと波打ちそう。
毛の下で脈打つ鼓動とそれにつれて鳴動する筋肉の動きも感じとれる、
そんなおそろしく繊細で写実的な描写であるのに、
何故か口もとにだけ、刷いた様な墨線が施されています。
なくてもいいどころか、これがなければ完璧な写実なのに?と、
前から思っているのですが、なんだかまるで、
本物の獅子を、この墨線で、画として封じ込めている、
そのための護符の様にも思えてきます。

あと書いておきたいのは、伊藤若冲。
この人は本当に、おかしいです。
狂っているとしか思えません、画に。
三の丸尚蔵館所蔵の「旭日鳳凰図」、
その羽のどの一枚のどの先を見ても行き届いた描き込み様で、
前も書いたことがあるのですが、一人の人間が、画に、
これほどの総てを込められることが、あるのだろうかと、
凡人は立ちすくむしかなくなります。
そして全体を見たときの、胸をわしづかみにされる狂騒感。

もう一枚、屏風ですが「樹花鳥獣図屏風」。
桝目描、というそうですが、一見モザイク作りの様に、
画全体に方眼をひき、そのひとつひとつを塗りこめていく手法の作品。
白い目地まであって、まさに、昔の風呂場のタイル模様の様に見えるのですが、
総て手描き。
動物尽くし、鳥尽くしといった構図の全体を見れば、
こっくりと一種の温かいふくらみを感じます。
けれど、この気の遠くなる手法!
こんな描き方をする必要が、どこにあったのでしょうか。
そして、見ていると大変近代的に見えてきて、
江戸時代の日本で、ちゃんと受け入れられたのか、
そんなことまで疑問に思えてきます。


書けたのは好みの一部だけですが、
時代・場合を網羅して、鳳凰と獅子が日本人の生活に、
心に、どんな形で住み続けてきたか、一覧できる展示となっています。
期間入れ替えがあるので、後半、また訪ねてみたいと思いました。
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手塚治虫のブッダ展 [美術館・博物館]

東京国立博物館
「手塚治虫のブッダ展」
会期:2011.4.26(火)~6.26(日)
訪ねた日:2011.6.3
書いた日:2011.6.3


ブッダ展の前にこちらを・・・。

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東博、門を入ってすぐの、池の手前に設置されていました。
「文化財レスキュー義援金」募金箱。
「東日本大震災により被害を受けた文化財の救援と修復活動」
と書かれているので、我が意を得たりと募金してきました。
今日明日は勿論、この先の人生に途方に暮れた方が大勢悩まれている時に、
古い建物だの何かの絵だの像だの茶碗だの、誰かの昔の手紙だの本だのが、
一体どんな意味を持つのだ!・・・とは思うのですが、
気になっていました。
ずっと。
確実に文化財救援にお役に立つのならば、
喜んで寄付しない選択はありません。

が、ちょっとこれ・・・寄った写真しか撮ってこなかったので解りにくいですが、
アクリル?の全面透明な募金箱、しかもお金と比較して頂ければわかる様に、
かなり大きなゴミ箱の様に四角いものが、
門を入ってすぐ、つまり露天にドーンと置かれているのです。
有体に言えば、お日様の下で、スケスケのでっかい箱にお金が丸見え。
いたずらに泥棒心を刺激しないかしらと余計な心配とともに、
(門の側で常時係の方がいますし人目もあるので実際は大丈夫と思いますが)
日本人の奥ゆかしい感覚と少しずれている様な感じもしました。
・・・そんなことを感じるのは感性が古いだけかもしれませんけれど。



さて、本題のブッダ展ですが、私は手塚治虫の漫画は好きではありません。
世界観や内容の素晴らしいこととは別に、絵が好きではないというだけですが。
漫画やアニメも仏像と並んで趣味のひとつなのですが、
それだけに、絵が受け入れられないことは、内容がどれほど素晴らしくても、
好きになれないのです。
それでも、この展示を見に行ったのは、深大寺の釈迦如来倚像が来ているから。
(展示目録では「伝釈迦仏倚像」)

昨秋地元の博物館にお出ましの時に見に行った感想は こちら ですが、
その時は跪いて見上げていたお顔、今回はそのまま素直に見上げる高さです。
LEDの工夫された照明のお陰か、ほのほのと明るくにこやか。
ご機嫌良く座っていらっしゃる。
一体何をご覧になっているのかと、如来像の視線を追えば、
対面に展示された南北朝時代の出山釈迦立像が、肋骨を浮き立たせた苦行姿で、
よろよろと今にもこちらによろけて歩き出して来そうに立っています。
ご自分の迷走していた頃の姿を微笑ましく見つめていたのですね。

そう思って横へまわろうとすると、けれど、斜め前方からの表情は、
無関心にやる気を失った、寂しいものだったりします。
この像の不思議に心を惹くのはこういうところ。
ひとつに定まらない表情を持つところです。
真横に立てば、そのお顔は最も尊厳高く、もう、何ものにも捕らわれることのない、
絶対の悟りを、私の様な信仰心のない者にも垣間見せてくれます。

今回は昭和七年吉田包春作の春日厨子も一緒に来ています。
控えめながら気持ちのこめられた、丁寧な作りであることが、
天井や鳳凰の色絵や金具の毛彫りなどからも伝わってきます。
覗き込めば台座も見えますので、是非。
お寺ではどうしても良く見えないので・・・。


その他展示は、手塚治虫の「ブッダ」の原画と、
それを説明する仏教美術の遺品が交互に展示されている、と言えば、
わかりやすいでしょうか。
東博所蔵品を中心に、日本のものとガンダーラ仏が多く、
他はカンボジアの砂岩の仏坐像が他と印象が違っていて目をひきました。
漫画と仏教美術が並んでいて、ほとんど違和感なく思えたのは、
好きではないとはいえ、手塚治虫の作品が素晴らしいものだからなのでしょうね。
仏伝がわかりやすそうだったことに加えて、
架空の登場人物を多く登場させることで、仏陀の時代と仏陀の生き様を描きたかった、という、
手塚氏の言葉を読んで、アニメは見てみたいなと思いました。
・・・XJapanの歌も大好きですし。


ところでこの展示会場は、特別五室。
本館を入って正面階段の裏にあたる、そんなに広くはない一室です。
高い天井と、二階にあたる部分には壁面に沿って小ぶりの回廊がまわっています。
その高い壁面に、緑の葉影の揺れる演出がされていました。
回廊の欄干に隠した観葉植物の下から照明を当てて、
壁面に葉の影だけをゆらゆらと大きく映しているのです。
その光も青みが強くなったり、黄味がかったりと変化している様でした。
見たことのない2500年前の仏陀の時代・国の雰囲気と、
この時代この国の「ブッダ」という漫画の雰囲気と、
双方をとても良く表しているようで、心地良い演出でした。

展示品に集中していれば気づかないでしょうに、
仕組みを確認しようと天井ばかり見上げてうろうろして、
少し不審者に見えたかもしれないと反省しつつ、
訪ねた方には是非、気づいていただきたいので蛇足ですが書いておきます。
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服部早苗 布工芸展 [美術館・博物館]

大倉集古館
「服部早苗 布工芸展」
会期:2011.4.2(土)~5.29(日)
訪ねた日:2011.5.25
書いた日:2011.5.26


今年のはじめ、大倉集古館の「煌きの近代」という館蔵名品展に行きました。
その帰りに、ふと目に止まったのが、この写真。

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えっ!?
渡岸寺十一面像!?
次回特別展ですって!?
ここに来るの?!そんなはずは・・・???
かなり混乱したまま良くよく見れば、
「布」工芸とあります。
布?
更にちゃんと見れば服部早苗さんのお名前が。
パンフレット全容はこちらです。
注目する順番がことごとく通常と逆でしたね。

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服飾工芸作家さんとして、お名前を知るだけで作品を見る機会のなかった方ですが、
一瞬本物の渡岸寺像の写真かと思ったほどのものを「キルト」で作製するとは、
いったい実物はどんなものなのか、知識ゼロなだけに、非常に興味をもちました。
欧米のキルト文化に日本の伝統美を融合させてきた30余年のお仕事の中で、
5年をかけた新作「仏像シリーズ」の初公開なのだそうです。

震災後、大きな余震で都内に足止めされたら・・・などと心配すると、
なかなか出かけることも控えていましたが、いよいよ会期終了が近づき、
この機会をのがすわけにもいくまいと、訪ねてきました。


独特の雰囲気のある大倉集古館、一階が新作の仏像シリーズの展示です。
キルトの作品はどれも想像よりも大きくて、
縦で1メートル以上と思われるのものが、
中心に仏像、周囲に荘厳とも取れる華麗なあるいは重厚な縁取りを伴って、
あの会場にならぶ様は、気炎渦巻く一種の迫力を感じました。

室生寺の釈迦如来立像、弥勒菩薩立像から始まって、
その対面には渡岸寺の十一面観音像(表示は向源寺)、
観心寺の如意輪観音像、聖衆来迎寺の日光・月光菩薩像。
奥に室生寺の十二神将、三十三間堂の風神、雷神像など。

110526ookura02.jpg

<室生寺釈迦如来立像>


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<観心寺如意輪観音菩薩坐像>



見ればどれも写真の様に実際のお姿そのまま。
近づけば木目や、お顔にやわらかく当たる光まで再現されています。
布だけでいったいどうすればこんなことが?
驚嘆してしばらく見ていたら、もしかしてこれは・・・
そしてパネルの解説を読んで納得しました、

「奈良の仏像写真家小川光三氏の写真をキャノン(株)の技術で、
布に「転開」し、綿を入れて立体的に仕上げたもの」(要約)

だそうです。
なるほど、パッチワークで一から構成したものだと思い込んでしまっていましたが、
違いました、木目や光は写真ならではです。
写真の陰影がキルトの立体感と相俟って、一層の実在感をかもしだしていたわけです。

それにしても、それだけで確乎とした作品になっているはずの写真を、
わざわざ一旦布に写し、そこに綿を入れてチクチク縫うなど、
お針仕事の苦手な私には地獄の苦痛でしかない気がするのですが、
それを芸術に高め、極めて行く喜びがあるなど、
こうして実際に見てみないとわからないことです。


面白いと思ったのは、室生寺の釈迦如来坐像の横顔を切り取った、
色紙より一回り大きいくらいのまったく同じ構図の作品18点です。
背景、つまりお顔の外側の、写真ならば黒い影だけの部分に、
1点ごとに異なるキルト・・・刺し子で古典的な模様を施してありました。
青海波、七宝、亀甲、麻の葉などなど、
日本人なら必ず目にしたことのある伝統的な意匠。
まったく同じ構図であるのに、キルトの文様によって、確かに受ける印象が随分異なりました。
室生寺の釈迦如来坐像の横顔に、一番似合うと思ったのは、
その中で唯一カタカナの混じった文様名だったのですが、
うっかりしたことに何というのだったか忘れてしまいました・・・
たしか、波とかフェザーといった単語がついた様な気がします。


さて、二階には、一転、豪華な「打ち掛シリーズ」と「タペストリー」「陣羽織」、
そしてこちらも代表的な「藍染シリーズ」。
仏像は好きなだけにどうしてもいろいろ考えながら見てしまいますが、
こちらは純粋に綺麗だとか豪華だとか手が込んでいるとか、
見たままに思いましたので、作品そのものも、一層自由に飛躍している様に感じました。

特に藍染シリーズの「鶴」は、藍染をキルトの伝統的手法で縁取った中に、
真っ白な煌めくサテン地で上から舞い降りる鶴を大きく切り取って表現したもので、
色や布地の対比の鮮やかさがとても印象的で好きな作品でした。

源氏物語を象徴的に表現した「源氏物語絵巻」、
咲き落ちる藤の花を表した「藤滝」、
すっと立ち上がる桐の花を描いた「一つ登り桐」など、
大作のタペストリーはその花びらひとつひとつまで美しい別布をパッチワークしたもので、
豪華絢爛なだけでなくどこか幻想的で、激しく懐かしい様な陶酔感に包まれます。

おそらく、大倉集古館という不思議な空間は、
この方の作品の飛翔感を程よく包み込んで反響させる、
素晴らしく相性の良い場所なのではないでしょうか。
近代的な美術館でも、逆に由緒ある古社寺などでも、
これほどまでには、自由に在り得ない様な気がします。


会場の様子は、
服部早苗さんのホームページhttp://www.sanae-quilt.com/の、
最新ニュースの「※レポートはこちらでご覧になれます」から見ることができます。
終了間近なこともありますし、訪ねられない方は是非、ここで様子をご覧になってみてください。

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