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空海と密教美術展 [美術館・博物館]

東京国立博物館
「空海と密教美術」展
会期:2011.7.20(水)~9.25(日)
訪ねた日:2011.9.9
書いた日:2011.9.10


夏休みの間は動けなかったので、会期終了も近くなった昨日、
やっと訪ねてきました。
あまり前もって情報を得てはいなかったのですが、
東寺の立体曼荼羅が再現されるのと、
兜跋毘沙門天がやはり凄いというのを聞いて、
期待半分、不安半分で足を踏み入れました。

金曜日の10時すぎに到着すると、並ばずに入館はできましたが、
中が混雑していてまず第二会場へと誘導されました。
しかし、入り口の階段を上がってすぐ右手に垣間見えたのは、
彼の帝釈天の涼しげなお顔!
引き寄せられる様にその部屋に入るのに何の躊躇がいりましょうか。
落ち着いて確認するとそこは最後の部屋だったので、
見事に逆走したわけですが・・・会場の方、すみません。
でも、お陰でまだそんなに混雑しないうちに、
東寺(教王護国寺)講堂の立体曼荼羅を堪能できました。

最近の東博の展示の例にもれず、
緩やかに傾斜するスロープを利用して、
部屋に入った者はまず遠目に全体像を把握、
その後スロープを降りきって、各像を間近で拝観できる、
という会場構成になっています。
来ていたのは、

手前中央に、降三世明王立像 と 金剛法菩薩坐像、
その奥に、大威徳明王騎牛像 と 金剛業菩薩坐像、
手前左右に、増長天立像 と 持国天立像、
奥の左右に、帝釈天騎象像 と 梵天坐像。

計8体です。
もちろんすべて承和6年(839)作、国宝指定。
(講堂の21体の中には江戸時代の新補像もあります)

東寺講堂では、狭い堂内に21体もの像がひしめき、
初めて足を踏み入れた時の異様に濃密な空間への怖れを伴った驚愕が、
その後何度訪ねても変わらず続いたものです。
さすがに、東博では、照度を落とし雰囲気のある演出を手がけているとはいえ、
1体1体を充分に離して展示し、また、近年非常に進歩したと思える照明効果も相俟って、
あのおどろおどろした「何かがある」としか表現のできない空間は、
微塵も感じることは出来ませんでした。
けれど、その分、像そのものの素晴らしさはとても良く伝わってきます。

降三世明王、背後にまわると、輪形の光背からちょうど後頭部の御顔が覗いていて、
まるで梟首の様で凄まじかったです。

持国天、解説板に、最も怖い形相の四天王像、というような記述がありましたが、
像の前を通ると、舌なめずりするその舌がぬらりと光るかの様な口の表現など、
思わずぎょっとして声を上げそうになります。
「最も怖い形相」の評に違わぬ素晴らしさでした。

増長天、非常に優雅に身を揺らして首を左にまわす姿は品の良い威厳に満ち、
動きそのものから得難い徳の高さ感じました。

そして帝釈天。
良いお顔です。
他の像に比べると、粘りつく様な濃い「気」とでもいうものを感じなくて、
その分、すっと心に近づきやすいと思うのですが、もしかしたら、
「頭部がすべて後補のもの」のためなのでしょうか(『もっと知りたい東寺の仏たち』東京美術)。
それにしても、良いお顔です。
生きていくことに手を煩わされずにすむ貴人というのは、
このようなお顔をしているのではないか・・・と思わせられます。
いくら見ていても飽きませんでした。

この帝釈天、乗っている象の脚の表現が面白いです。
そもそもが短脚なところに、皮がたるみにたるんで地面につきそうです。
瀟洒な帝釈天が乗るにしては、土臭い。

また、足元でいえば、降三世明王の踏みつける二人、
ヒンドゥー教の最高神の一人シヴァ神とその妃ウマだそうですが、
自分を夫もろとも容赦なく踏みつける降三世明王の右足に、
ウマの左手がとてもとても優しく触れているのが妙に印象的。
何か意味があるのでしょうか。



さて、一室の感想だけで長くなってしまいました。
次は、今回のもうひとつの目的、兜跋毘沙門天立像。
いつの年の秋でしたか、何心なく立ち寄った東寺で出会ったこの像。
その緊密な表現に一目で心を奪われました。
何ですかこの、光さえ閉じ込めて放さないというブラックホールの様な、
形ある物も形無き思いも総てをぎゅっと凝縮して固めたかに見える密度感は。
元は羅城門に置かれて外敵退散を求められていたという伝があるそうですが、
寄せ来る総ての厄災を、身一つに受け入れ閉じ込め続けた果ての姿なのでしょうか。

その、最初の邂逅は、表現上「カビが生えた様な」と書くと一番よく伝わる、
古めかしく雑多な展示室の一室に無造作に置かれていて、
案内の小さな紙きれをよくよく見たら国宝指定だったのでびっくりした、という思い出深いものでした。
今回は程よい演出と照明で、暗い室内に鮮やかに浮かび上がったお姿との再会です。
凄いです。
いっそ凄絶と表現したくなる密度の濃さです。

特徴的と言われる西域式の武装束、金鎖の編みこみや蝦の様な手甲の表現は、
緊密すぎてもう、毘沙門天の身と一体になり、決して着脱できないに違いありません。
さながら蛇の鱗を持つように。
長いその甲冑の下には、どうしたことか、
今の世なら「少女趣味」と評されるに違いない甘やかな裳すそが、
これでもかと言わんばかりにふりふりひらひらと覗いています。

お顔はというと、ひん剥いたギョロ目の視点はあわず、
上歯をむき出した口元は中途半端に小さく、怒っているよりは当惑した体。
鼻上の大きなしわだけがよく目立つという、
異形じみたあまり好まれるものではないかもしれません。

だけどというより、だからと言ったほうがいいのでしょうか。
胸元高くにくびれた腰から、大きな下半身がゆっくりくねる立ち姿には、
人たる身には決して手の届かない異次元感が漂って魅惑的なのです。


さてこの「空海と密教美術」展ですが、
ひと通りまわって気づいたのはほとんどが国宝か重文。
仏像だけでも、仁和寺の阿弥陀如来および両脇侍像、
醍醐寺の薬師如来および両脇侍像など、とても都内で拝観できるとは思えない像が並び、
風信帖はじめ現存する空海直筆の書5件が出るなど、
とても書ききれないので、感想はたった二点だけでお終いにしますが、
見応えという意味ではこれ以上ない極上の展覧会です。
昨今はHPのみならず公式ツイッターも配信されているのを会場で知り、
帰宅後フォローを入れてみると、

「「空海と密教美術」展、ポスターには国宝・重要文化財98.9%となっていますが、
展示替えにより現在は100%となっています。貴重な密教美術の数々をぜひご覧ください」
(9/4)

というツイートを見つけました。
凄いことです!
展示替えはこの後も行われるのでずっとこうではないかもしれませんが、
とにかく凄すぎます。
終了まであまり時間はありませんが、とてもおすすめの展覧会です。


最後に追伸的に・・・。
夏前に入り口の門入ってすぐの露天に置かれていてびっくりした、
大震災の文化財レスキュー義援金募金箱、
今回は平成館の出口にひっそり置かれていました。

110909tohaku.jpg


春からずっと、上京するときは地震の可能性を改めて頭に入れてでかけますが、
今回など、立体曼荼羅の最中にいるとき、もし今大地震がきたら・・・と考えると、
人命の何より最優先は当然でありながら、
それでもやはり、私ごときの命ひとつと、
ここに並ぶ像とで、どちらが優先されるべきなのか、
考えてしまいました。
どのみちあと50年もつかどうかのどこにでもある命と、
1000年を越えて守り伝えられてきた唯一の物と。
永遠の課題です。


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コメント 2

★ASA☆

おぉ♪ この展覧会行かれたんですね!
いいなぁ・・・
これだけの美術品が揃ってるのを見れるなんて、本当に羨ましいです!!

by ★ASA☆ (2011-09-10 22:12) 

まるさ

♪ ★ASA☆さん、いえいえ、やはり、お寺さんで見るにこしたことはありません。
気軽に訪ねられるなら、そのほうが絶対良いです!(笑)
でも、そうそう関西にいけないし、行ったら他にも見たいものが・・・
という私などには、本当にありがたい展覧会です^^
それに、やはり像そのものは、とてもよく見えますからね・・・。
この展覧会は巡回はないみたいで、少し残念ですね・・・。
by まるさ (2011-09-12 01:07) 

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