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飛鳥遺珍-のこされた至宝たち- [美術館・博物館]

飛鳥資料館
「飛鳥遺珍-のこされた至宝たち-」展
会期:2011.10.14(金)~11.27(日)
訪ねた日:2011.10.20
書いた日:2011.10.21


9月末の新聞で、飛鳥資料館で面白そうな展示があることを知りました。
公式サイトを確認しに行くと、

「(前略)飛鳥に由来する多くの文化財が、今日、日本各地の博物館や研究所に分散して保管されています。
今回の展覧会は、そうした明日香村外に保管され、普段はまとめてみることはできない飛鳥の至宝ともいうべき文化財のいくつかを一堂に集めて展示しました。(後略)」

好奇心と郷愁をかきたてられるに充分な惹句です。
いてもたってもいられなくなり、子供が修学旅行に出かけた一日を使って行ってきました。
もちろん日帰りです(笑)。

ちゃんと飛鳥に入ったのは、いつ以来でしたか・・・。
随分若い頃、近鉄橿原神宮前駅からひとりでてくてく歩いて飛鳥入りしたことがありましたが、
今はとても・・・もはや自転車もやめておいたほうが良い年齢になってしまいました。
かめバスというバスがあると聞いていたので探したのですが、
「運行は○×にお問い合わせを」と時刻がよくわからない謎の記述があり・・・
めんどくさくなったのでタクシーで飛鳥資料館へ。

その運転手さんがしきりと、あすこはほとんど働いていない、その証拠に門が半分しか開いてない、
中に入ったら本物とレプリカの区別をして見なければいけないなどと(そうでしたね(笑))、
笑い話のように話してくれまして、随分詳しそうでしたが、特別展のことはご存知なかったそうです。
なんとなく危険な予感・・・。

はたして中に入ると、復元漏刻の模型がどんと展示してありまずが、
館内は閑散。
展示も動線が滅茶苦茶で、常設展示に今回の特別展の展示品が混ざっていたりして、
普段お邪魔しない私には、判別できない有様。

特に、岡寺の天人文甎(せん)を楽しみに訪ねたのに、
一階にレプリカと、その隣に鳳凰文甎の写真があったので、
一瞬、これだけかと真っ青になりました。
本物の天人文甎は地階にちゃんとあり、その隣には鳳凰文甎のレプリカが並べてありました。
ややこしい・・・一階は常設展示なのでしょうか、
せめてこの期間、本物は地階にと書いてもらえれば・・・。

更に目玉展示のひとつのはずの「小治田」墨書土器も、
1階の最初の部屋では写真だけの展示、
実物は奥の別の部屋にありました。

また、カタログの裏表紙に可愛らしいハート形の「坂田寺跡出土水晶」の写真が使ってあったので、
これを見なければと探しにいくと・・・
そもそもが小さいものですが、展示ケースの2枚開きのガラス戸のあわせ目に隠れ、
かつ、「坂田寺出土云々」の展示名カードのすぐ裏側に置かれているため、
ほとんど見えません。
伸び上がってのぞきこめば、透明の物体であることはわかっても、
角度の関係でいびつな丸型になり、ハートの形にはまったく見えませんでした。
なんて残念な・・・。
展示位置を少し動かせばよく見えるはずなのでよほどその場で学芸員さんにお願いしたかったのですが、
モンスター観覧者になる勇気もなくて、アンケートに書いてくるに留めました。
読んでくださるといいのですが・・・とてもとても心残りです。




なんといいますか、都内の最新設備の整った博物館・美術館の、
設備のみならず手の心の行き届いた展示とは、比べるのも申し訳ない有様です。
かと言って、私の好きなかつての雑然としながらも知識の宝庫としての尊厳のあった、
古い形の博物館とも違う、この寂しさは何なのでしょうか。
随分以前に訪ねたときは、こんな印象はなかったはずなのですが・・・。


けれどしかし!
展示品は良いのです。
それから説明板も。
最新の情報なのかどうかまではわかりませんが、
詳細で知識欲を満足させてくれます。
そのためか、いかにも古代史マニアという風情の、
お一人でいらしてる年配の男性が多かったようです。
平日の昼間でしたしね。


さて、特別展に来ていた、天人文甎。
なんてほのほのと、柔らかく優しいのでしょう。
ふうわりと天から降り立った天人の、眉のあたりに漂うほっと眠たい様な安堵感まで、
天衣を翻す風とともに伝わってきます。
少女の、抱きしめればほろほろと崩れてしまいそうな、
あやうい体の温かささえ、たぷっとした衣越しに感じられます。
どれほど私はこの甎が好きか。
この、焼き物に閉じ込められた天の人のかそけき命が好きか。
たったひとりになってしまっても、誰かに、何かに、永遠に供奉する姿・・・。

春にサントリー美術館で鳳凰文甎を見ていますから、
久しぶりに満足しました。
ふたつが同時に並んでいるのを見たのは、もしかしたら、
平成8年4月の群馬県立歴史博物館「謎の大寺・飛鳥川原寺 白鳳の仏」
が、最初で最後かもしれません。
ともに岡寺で発掘されながら、今は所蔵を異にするためなかなか並んで見ることはできない様ですが、
約40センチ四方のこの甎仏で荘厳されていた床かあるいは須弥壇の腰などを、
遥かに想像するのは楽しいことです。


それから、古宮遺跡出土金銅四環壺。
古宮(ふるみや)遺跡は雷丘の反対側、飛鳥川の西岸にある遺跡だそうですが、
そこから明治時代、田仕事の最中に掘り出されて宮内庁お買い上げとなった、
最大直径40センチを越える堂々とした金銅の壺です。
見たときは、さすが宮内庁、と舌を巻きました。
もちろん、お買い上げだから素晴らしいという意味ではさらさらなく、
やはり、良いものを買っていくのだなあとしみじみ思ったわけです。

張りのある豊かな丸みはぽんぽんと跳ねそうなほどで、
写真ではなく是非実物で確認してほしい逸品です。
更に、肉眼ではほとんど錆で見えなくて残念ですが、
ところどころ垣間見える線刻の素晴らしさときたら、
全体が判明したらどれほどかと。
置かれているだけで、空気が清浄になるかと思うほどの、
香気漂うものでした。

胴部分に大きく大小対の鳳凰が2組あしらわれているそうで、
壁にその一部の線画が提示されていたのですが、これまた不親切で、
壺のどの面、どの部分にそれがあるのか、わからない。
周囲をくまなく眺めつくしてきましたが、とうとう、鳳凰の一部も見つけられず終いでした。

実は、そばにいた警備員のおじさまに聞いてみたら、
ニコニコと「ここらへんにあるって聞いてるよ」と指し示して教えて下さったのですが、
それは、壺の展示からいくと、真裏で・・・ほんとかなと思いつつも特にじっくり見てみましたが、
裏なので逆光になり、全然見えませんでした。


そして、法隆寺献納宝物から、
台座背面に「山田殿像」の銘のある144号、阿弥陀如来および両脇侍像と、
台座の蓮弁に檜隈寺の軒丸瓦と同様の火炎紋のある149号、如来立像。
東博法隆寺宝物館でいつでも会える2組ですが、この記述を見れば、
今、飛鳥の地で見える(まみえる)意味の重さが、心に迫ってきます。

「約930年ぶりの里帰り」

法隆寺献納宝物は明治11年(1878)、法隆寺から皇室に献納されたものが母体です。
そして法隆寺には、承暦2年(1078)、橘寺から49体の金銅仏が移入されています。、
つまり、現在の献納宝物の中には、930年ほど前に橘寺から移入されたものが含まれている可能性があるわけで、
今回選ばれた144号と149号は、言うまでもなくその可能性の高い2組です。

なので解説文の全文は、
「今回の資料が橘寺由来のものであれば、承暦二年以来、約930年ぶりの里帰りとなる」
です。
それでもやはり、見慣れたはずの2組の像に、
ひさしぶりの飛鳥は、どうですか?変わってしまったでしょう、
それとも、東京よりは、往時の面影が残っていますか?
など、人に聞かれでもしたら気が触れたと思われかねない会話を、
頭の中でずっとし続けていました。


展示は他にも、高松塚古墳、キトラ古墳、石舞台古墳、牽牛子塚古墳、他各遺跡出土品など、
古代史好きにはたまらないものです。
会期中無休ですが、石神遺跡出土具注歴木簡と飛鳥池工房遺跡出土「天皇」木簡のみ、
11/3(水)~13(日)の展示で、その他の期間はレプリカですのでご注意下さい。


飛鳥資料館、かめ石レプリカ越しに。

111020ask02.jpg


今回特別展、入り口の看板。

111020ask03.jpg


なおなお、常設展示に予想外のものがあって嬉しかったりしたので、
飛鳥での半日とともに、後日また書きたいと思っています。

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