川田幹 あすか菩薩 [美術館のある街]
東博の本館地下のミュージアムショップ。
ここが広くなって、華やかな様々の「グッズ」で溢れかえる様になったのは、
平成館が出来る前でしたか、後でしたか、それとももっと前からでしたか。
とっくに記憶にないのですが、その頃から気になっていた販売品があります。
川田幹 作
型染め版画
法隆寺献納宝物中四十八体仏シリーズ
ご本人、あるいは東博でこの様なシリーズ名をお使いになっているわけではありません。
便宜的に表現させて頂きました。
文化財の写真や意匠を使った文具・アクセサリー・衣類など様々な「グッズ」やレプリカの中にあって、
唯一このシリーズだけが、作者名を出した「作品」で、
しかも四十八体仏を題材にした、版画。
工夫を凝らしたお土産品も楽しいものですが、やはり本物の力はあまりにも峻烈です。
柱に掛けられている菩薩像を一目見るなり、喉から手が出るほど欲しくなる逸品でした。
でも、価格が小さなもので3、4万、横長で大きめの摩耶夫人像などは10万円を越えます。
とても、買えません。う~ん。
けれど、私が昔から仏像の中でも最も好きな一体、
166番さん(法隆寺献納宝物166号)の像が、もしあれば・・・
期待しつつも半ば不安に思いながら、意を決して係の方にお願いして、
倉庫で作品をすべて見せて頂いたのは、おそらく10年と少し前のことかと思います。
幸か不幸か、十数点程見せて頂いた中に166番さんはおらず、大出費はせずにすみました。
その後、川田幹さんの作品をネットオークションで探し続け、
2005年に安価でペラを落札、
当時東京駅の地下にあった(先日訪ねたらお店なくなっていました・・・)、
名前も忘れてしまいましたが画材屋さんで額装してもらったのが、
こちら。
題名には「法隆寺献納御物金銅仏並楽毅論」とあり、
光明皇后の楽毅論を背景にした、このお姿は・・・166番さんに間違いないです。
オークションで落札する時は、とにかく探しあてた感動と競りあいに夢中だったので、
実は何番の像かは気にもとめていなくて、
宅配で届いて箱を開けてしみじみ眺めてあっ!と思った時の感動は一入でした。
何か見えない力で私のところに来てくれた様で・・・。
以来、我が家の玄関に大切に飾らせて頂いています。
川田幹(かん)さん、書籍の装画にも多く携わられていますが、
ネットで調べてもなかなか情報が得られず、だいぶたってから、
大正13年のお生まれ、京都の染織家さんで、型染めという技法の版画を教えていらしたこと、
そしてそのお弟子さんのブログで、
私が東博で作品に出会った頃に鬼籍に入られたことを知りました。
お顔も、どの様な方かも存じ上げないのですが、
憧れ続けた作品の作者様です。
心よりご冥福をお祈りせずにはいられませんでした。
その後も、ネットオークションのサーチは続けていますが、
仏画の出品は今に至るまでありません。
何点かの風景画とだるまさんの画はお見かけし、
だるまさんは現在我が家の居間に掛かっています。
もともとどの様な経緯でネットオークションに作品が流れるのかわかりませんが、
亡くなられて時もたてば、かつての様な嬉しい出会いを望むのは無理なのでしょうか。
そう諦めていたのに。
先日、東博の「手塚治虫のブッダ展」に行った折、久々に地下のショップを覗くと、
えっ!?
思わず声をのみました。
今までのシリーズより少し小ぶり、背景も白く簡素ですが、
間違いなく166番さん(166号)です。
以前見せて頂いた時はなかったのに?と思い、店員さんにお聞きすると、
今年(2011)の1月から販売開始されたそうです。
そんなばかな!?
だって、もう亡くなってだいぶたつのに、新作が出るなど、
考えられるでしょうか?
いや、待て待て、先生の遺志を継がれたお弟子さんのお作かも!
・・・
落款を確認しましたが「幹」と読めます。
えー!?
それで、まるで素人で、買えるわけでもなくて恥ずかしい上に、
お忙しそうなところをご迷惑だろうと相当躊躇しましたが、
どうしてもそのままでは帰れずに、つい矢継ぎ早に質問してしまいました。
売り場の方はよくご存知なかった様で、奥から、
私より少しお若いくらいの素敵な女性が出てきてくださいました。
川田幹さん、日展の審査をしてらした画家さんで、
東博ミュージアムショップができた当初(40年ほど前?)の責任者の方と親しく、
その関係で、まだ権利関係がやかましくなかった頃、
お土産品ばかりではなく、きちんとした作品を売りたいということで、
作品制作ををお願いしたのだそうです。
その後「いろいろやかましくなり」この様な形での販売は無理になったのだそう。
それで、溢れる「グッズ」の中で唯一「作品」が扱われているわけと、
何故、この方の作品だけが?という謎が、解けました。
そして、驚いた「新作」は、
お恥ずかしながら、と前置きなさりながら、
最近館内の整理点検をしていて、この小ぶりな作品が何枚もあるのを発見したのだと教えて下さいました。
当初の責任者の方も今は亡くなられているので、
いつお預かりしたものかもわからないのだそうですが、
ご遺族にお詫びとお願いをして、今年から販売させて頂いているのだそうです。
なので、摺られたのは川田さんご生前。
間違いなく先生のお作です。
最後に、一番気になる質問を・・・
このお高いお値段で、売れるものですか?
我ながらなんと失礼なことをと思いましたが、
案に相違して、結構お求めになる方、お問い合わせされる方が多いのだそう。
亡くなった娘さんと同じ名前の如来像と出会い、運命だと思って買われた方とか、
どうにも気になって仕方ないので取り置いてほしいとお電話下さった方など、
私もそうですが、いろいろな思いの集まる作品の様です。
そんなわけで、166番さんはやはりどうしてもそのままにしては帰れず、
私が買わないで誰が買う!の思いで、買わせて頂きました。
ミュージアムショップでクレジットカードが使えたとは・・・ふ・・・。
ところで、この機会にと、その素敵な女性にもうひとつ疑問だったことを聞いてきました。
1,2年前から奥のガラスケースの中に鎮座している、
金銅如来立像の精巧なレプリカ、35万円。
(法隆寺献納宝物153号の像です)
これは、注文すればこの値段で166番さんも作って頂けるのでしょうか?(どきどき)
答えは「とんでもない!」でした。
20体作製したうち、残り販売可能数は1体になっているそうで、
(そんなに買える方がいらしたとは!)
近々更に20体作製するとのことですが、それを全部売ってやっと収支はとんとんに、
なるかどうか、なのだそうです・・・びっくりしました。
きちんとしたレプリカが、それほどお金のかかるものだったとは・・・。
もし、迷っている方がいらしたら、是非、ご購入下さい。
ちなみに、40体を売り切った時点で、
次も作るか、作るとしたらどの像にするか、決めるのだそうです。
166番さんを作って頂ける頃には、35万円くらい貯まって・・・いるといいな。
ショップの店員さん、主任の女性の方、お忙しいのにすみませんでした、
ありがとうございました。
大好きな166番さんを作品に遺してくださった川田先生、ありがとうございます。
大切に飾らせて頂いています。
ちなみに以前育児ブログの方で書いたことと多少重複しています、
そちらも見てくださった方には失礼しました。
ここが広くなって、華やかな様々の「グッズ」で溢れかえる様になったのは、
平成館が出来る前でしたか、後でしたか、それとももっと前からでしたか。
とっくに記憶にないのですが、その頃から気になっていた販売品があります。
川田幹 作
型染め版画
法隆寺献納宝物中四十八体仏シリーズ
ご本人、あるいは東博でこの様なシリーズ名をお使いになっているわけではありません。
便宜的に表現させて頂きました。
文化財の写真や意匠を使った文具・アクセサリー・衣類など様々な「グッズ」やレプリカの中にあって、
唯一このシリーズだけが、作者名を出した「作品」で、
しかも四十八体仏を題材にした、版画。
工夫を凝らしたお土産品も楽しいものですが、やはり本物の力はあまりにも峻烈です。
柱に掛けられている菩薩像を一目見るなり、喉から手が出るほど欲しくなる逸品でした。
でも、価格が小さなもので3、4万、横長で大きめの摩耶夫人像などは10万円を越えます。
とても、買えません。う~ん。
けれど、私が昔から仏像の中でも最も好きな一体、
166番さん(法隆寺献納宝物166号)の像が、もしあれば・・・
期待しつつも半ば不安に思いながら、意を決して係の方にお願いして、
倉庫で作品をすべて見せて頂いたのは、おそらく10年と少し前のことかと思います。
幸か不幸か、十数点程見せて頂いた中に166番さんはおらず、大出費はせずにすみました。
その後、川田幹さんの作品をネットオークションで探し続け、
2005年に安価でペラを落札、
当時東京駅の地下にあった(先日訪ねたらお店なくなっていました・・・)、
名前も忘れてしまいましたが画材屋さんで額装してもらったのが、
こちら。
題名には「法隆寺献納御物金銅仏並楽毅論」とあり、
光明皇后の楽毅論を背景にした、このお姿は・・・166番さんに間違いないです。
オークションで落札する時は、とにかく探しあてた感動と競りあいに夢中だったので、
実は何番の像かは気にもとめていなくて、
宅配で届いて箱を開けてしみじみ眺めてあっ!と思った時の感動は一入でした。
何か見えない力で私のところに来てくれた様で・・・。
以来、我が家の玄関に大切に飾らせて頂いています。
川田幹(かん)さん、書籍の装画にも多く携わられていますが、
ネットで調べてもなかなか情報が得られず、だいぶたってから、
大正13年のお生まれ、京都の染織家さんで、型染めという技法の版画を教えていらしたこと、
そしてそのお弟子さんのブログで、
私が東博で作品に出会った頃に鬼籍に入られたことを知りました。
お顔も、どの様な方かも存じ上げないのですが、
憧れ続けた作品の作者様です。
心よりご冥福をお祈りせずにはいられませんでした。
その後も、ネットオークションのサーチは続けていますが、
仏画の出品は今に至るまでありません。
何点かの風景画とだるまさんの画はお見かけし、
だるまさんは現在我が家の居間に掛かっています。
もともとどの様な経緯でネットオークションに作品が流れるのかわかりませんが、
亡くなられて時もたてば、かつての様な嬉しい出会いを望むのは無理なのでしょうか。
そう諦めていたのに。
先日、東博の「手塚治虫のブッダ展」に行った折、久々に地下のショップを覗くと、
えっ!?
思わず声をのみました。
今までのシリーズより少し小ぶり、背景も白く簡素ですが、
間違いなく166番さん(166号)です。
以前見せて頂いた時はなかったのに?と思い、店員さんにお聞きすると、
今年(2011)の1月から販売開始されたそうです。
そんなばかな!?
だって、もう亡くなってだいぶたつのに、新作が出るなど、
考えられるでしょうか?
いや、待て待て、先生の遺志を継がれたお弟子さんのお作かも!
・・・
落款を確認しましたが「幹」と読めます。
えー!?
それで、まるで素人で、買えるわけでもなくて恥ずかしい上に、
お忙しそうなところをご迷惑だろうと相当躊躇しましたが、
どうしてもそのままでは帰れずに、つい矢継ぎ早に質問してしまいました。
売り場の方はよくご存知なかった様で、奥から、
私より少しお若いくらいの素敵な女性が出てきてくださいました。
川田幹さん、日展の審査をしてらした画家さんで、
東博ミュージアムショップができた当初(40年ほど前?)の責任者の方と親しく、
その関係で、まだ権利関係がやかましくなかった頃、
お土産品ばかりではなく、きちんとした作品を売りたいということで、
作品制作ををお願いしたのだそうです。
その後「いろいろやかましくなり」この様な形での販売は無理になったのだそう。
それで、溢れる「グッズ」の中で唯一「作品」が扱われているわけと、
何故、この方の作品だけが?という謎が、解けました。
そして、驚いた「新作」は、
お恥ずかしながら、と前置きなさりながら、
最近館内の整理点検をしていて、この小ぶりな作品が何枚もあるのを発見したのだと教えて下さいました。
当初の責任者の方も今は亡くなられているので、
いつお預かりしたものかもわからないのだそうですが、
ご遺族にお詫びとお願いをして、今年から販売させて頂いているのだそうです。
なので、摺られたのは川田さんご生前。
間違いなく先生のお作です。
最後に、一番気になる質問を・・・
このお高いお値段で、売れるものですか?
我ながらなんと失礼なことをと思いましたが、
案に相違して、結構お求めになる方、お問い合わせされる方が多いのだそう。
亡くなった娘さんと同じ名前の如来像と出会い、運命だと思って買われた方とか、
どうにも気になって仕方ないので取り置いてほしいとお電話下さった方など、
私もそうですが、いろいろな思いの集まる作品の様です。
そんなわけで、166番さんはやはりどうしてもそのままにしては帰れず、
私が買わないで誰が買う!の思いで、買わせて頂きました。
ミュージアムショップでクレジットカードが使えたとは・・・ふ・・・。
ところで、この機会にと、その素敵な女性にもうひとつ疑問だったことを聞いてきました。
1,2年前から奥のガラスケースの中に鎮座している、
金銅如来立像の精巧なレプリカ、35万円。
(法隆寺献納宝物153号の像です)
これは、注文すればこの値段で166番さんも作って頂けるのでしょうか?(どきどき)
答えは「とんでもない!」でした。
20体作製したうち、残り販売可能数は1体になっているそうで、
(そんなに買える方がいらしたとは!)
近々更に20体作製するとのことですが、それを全部売ってやっと収支はとんとんに、
なるかどうか、なのだそうです・・・びっくりしました。
きちんとしたレプリカが、それほどお金のかかるものだったとは・・・。
もし、迷っている方がいらしたら、是非、ご購入下さい。
ちなみに、40体を売り切った時点で、
次も作るか、作るとしたらどの像にするか、決めるのだそうです。
166番さんを作って頂ける頃には、35万円くらい貯まって・・・いるといいな。
ショップの店員さん、主任の女性の方、お忙しいのにすみませんでした、
ありがとうございました。
大好きな166番さんを作品に遺してくださった川田先生、ありがとうございます。
大切に飾らせて頂いています。
ちなみに以前育児ブログの方で書いたことと多少重複しています、
そちらも見てくださった方には失礼しました。
根津美術館・道と庭園 [美術館のある街]
地下鉄表参道駅。
言わずと知れたお洒落スポットに通じる駅です。
綺麗なお姉さん方は我が地元駅を歩く同年代のお嬢さん方に比べて、
格段に「モード」です。
モード・・・よく意味を理解していませんがともかくハイセンス。
特に男の人のお洒落度がまったく違うことに驚かされます。
スーツ姿でも背筋シャン!として颯爽とすれ違えば、さぞお高い靴だろうと思える足音。
TシャツGパンだって、光ものの小ぶりなバッグを体に巻きつけてアクセントにするなんて、
地元にそんなヤロウはいませんです、はい。
その駅のA5出口を出ると、
道にそってコムサ・デ・ギャルソン、プラダ、カルティエ、オメガ、クロエ・・・
たしかそんな順番だったと思いますが、
生涯利用することはないにも関わらず、昔から知っているという、
ともかく有名なブランドのビルが並びます。
特にプラダビルは、北京オリンピックの鳥の巣と同じ建築家(たち?)のデザイン。
一度見れば忘れられない、牛乳瓶の底な眼鏡レンズを菱形に積み上げたような、
この地震大国日本でありえないでしょう!な外観。
(耐震・免震はばっちりらしいですが)
この道を、どう見ても似つかわしくない、
ハイキング姿のおばさまたちが・・・ぞろぞろ。
ああ・・・そうなのです、こここそが、根津美術館に向かう道。
みゆき通りといいます。
まあ私も、季節感無視の歩きやすいだけの靴に帽子、日よけのストール、アームカバー・・・
あとリュックサック借りれば高尾山に登れますよな姿でしたが(*'-')
かつてバブル時期の最新デートスポットとして名を馳せた、
ヨックモックのカフェテラスやフロム1stビルを通り過ぎ、
道を渡れば、目的地です。
そんな(地価の莫大そうな)場所に位置する根津美術館、
門を入ると美しい新美術館の奥に、17000㎡もの庭園があるのを、
ご存知の方は少な・・・いわけがなく(笑)、
美術館を訪ねる多くの方が、この庭園散策もまた、楽しみに来るのです。
新緑の今の散策路はこんな感じです。
傾斜地を生かして池やせせらぎを配し、深山幽谷の趣をかもし出す庭園内には、
4棟の茶室があり、あちこちに興味深い収集物が点々と置かれています。
まさにお金持ちのお庭!
普通、庶民は、こんな貴重なもの、雨ざらしで庭になんか置けません!
面白いなあと思うもの、いくつもあるのですが、今回気になったのはこれ。
等身大です、道の左右に一対。
道祖神というか・・・もう少し古い中国の神像のようにも見えますが、
何なのでしょうかこれ。
雨ざらしでお顔がほとんどのっぺら君。
そこがまた、良い味を出しています。
この像のように何の解説もないものも多いですが、
中にはこんな感じで、解説板が並んでいるものも。
「石造 如来坐像 日本 鎌倉時代 12世紀末~13世紀」
ま、まてまてまてーい(笑)。
鎌倉時代の石像だなんて、そんな大切なものをこんな雨ざらし・・・
しかも、誰がどんな魔がさして、ちょっと失敬・・・して行かないとも限らない状態で・・・
太っ腹です、さすがお金持ち・・・。
また、こんな銅造の観音像も解説板なしで由来わからず終いで、
木立の陰に立っていました。
こころばかりの木造の屋根がさしかけられています。
写真ではわかりにくいですが、台座部分など、銅がしっかりはがれかけていました。
置物ばかりでなく、庭園内の石畳?には、なにやらやはり時代がかったものが再利用されています。
私などは何の素養もないので、何でしょこれ、面白いなあ・・・で通り過ぎますが、
おわかりの方にはさぞ興味深いのではないかと思います。
昨秋、新装開館なるまでの、古い時代には、
鬱蒼としすぎていて、足を踏み入れたら戻ってこれなそうだし、
ひとりふたり池にはまって溺死していても気づかれなさそうで、
昼間でも、たとえ人がいても(人がいるからこそ?)、
とても恐くて奥まで散策は無理でしたが、
(そして、そんなお庭をこそ、私は好きでもあったのですが)
ものすごく整備されて、とても気持ちの良い散策路になっていました。
それで、一番奥まで行くと、薬師堂なるものが。
狛犬や灯篭が並ぶ薬師堂・・・
横の石碑には、平成4年移転と刻まれていましたが、
これもまた、どこからの移転かなどの解説は、なし。
薬師堂というからには、中に薬師像が安置されているのかどうか・・・それもわかりません。
こじんまりと風情ある作りで、この写真の奥は竹林。
まさに都心の別世界です。
他にも、飛梅師祠なる、梅の枝しょってるしわしわひげひげの菅原道真像を祀った祠とか、
解説はなかったですが、どう見ても石棺を転用したつくばいとか。
とっても面白いです。
圧巻はやはり、この時期ならではの、かきつばた群生です!
うーん・・・こんな時は、ケータイではなく、おっきなカメラを持っていけばよかったと思うのですが、
なかなか・・・重いし・・・。
多少終りかけてはいましたが、目に鮮やかな紫が素晴らしかったです。
最後に、一番綺麗だった、池をはさんでのかきつばた。
・・・ひーん、全っ然わかりませんが、
水面に反射するやわらかな陽光が、手前の梢の端々をキラキラと光らせて揺れ、
奥のかきつばたの群生が静かにさざめく中、
池には鴨が涼やかに遊び、
鯉や亀までが五月晴れを喜んではしゃいでいるようでした。
おすすめの場所です^^
た・だ・し!
庭園内あちこちで、つまづいたり転んだり、池に何かを落とした悲鳴が満ち満ちていました・・・
お訪ねになるなら是非、足腰のしっかりしている間に・・・(^^;(笑)。
言わずと知れたお洒落スポットに通じる駅です。
綺麗なお姉さん方は我が地元駅を歩く同年代のお嬢さん方に比べて、
格段に「モード」です。
モード・・・よく意味を理解していませんがともかくハイセンス。
特に男の人のお洒落度がまったく違うことに驚かされます。
スーツ姿でも背筋シャン!として颯爽とすれ違えば、さぞお高い靴だろうと思える足音。
TシャツGパンだって、光ものの小ぶりなバッグを体に巻きつけてアクセントにするなんて、
地元にそんなヤロウはいませんです、はい。
その駅のA5出口を出ると、
道にそってコムサ・デ・ギャルソン、プラダ、カルティエ、オメガ、クロエ・・・
たしかそんな順番だったと思いますが、
生涯利用することはないにも関わらず、昔から知っているという、
ともかく有名なブランドのビルが並びます。
特にプラダビルは、北京オリンピックの鳥の巣と同じ建築家(たち?)のデザイン。
一度見れば忘れられない、牛乳瓶の底な眼鏡レンズを菱形に積み上げたような、
この地震大国日本でありえないでしょう!な外観。
(耐震・免震はばっちりらしいですが)
この道を、どう見ても似つかわしくない、
ハイキング姿のおばさまたちが・・・ぞろぞろ。
ああ・・・そうなのです、こここそが、根津美術館に向かう道。
みゆき通りといいます。
まあ私も、季節感無視の歩きやすいだけの靴に帽子、日よけのストール、アームカバー・・・
あとリュックサック借りれば高尾山に登れますよな姿でしたが(*'-')
かつてバブル時期の最新デートスポットとして名を馳せた、
ヨックモックのカフェテラスやフロム1stビルを通り過ぎ、
道を渡れば、目的地です。
そんな(地価の莫大そうな)場所に位置する根津美術館、
門を入ると美しい新美術館の奥に、17000㎡もの庭園があるのを、
ご存知の方は少な・・・いわけがなく(笑)、
美術館を訪ねる多くの方が、この庭園散策もまた、楽しみに来るのです。
新緑の今の散策路はこんな感じです。
傾斜地を生かして池やせせらぎを配し、深山幽谷の趣をかもし出す庭園内には、
4棟の茶室があり、あちこちに興味深い収集物が点々と置かれています。
まさにお金持ちのお庭!
普通、庶民は、こんな貴重なもの、雨ざらしで庭になんか置けません!
面白いなあと思うもの、いくつもあるのですが、今回気になったのはこれ。
等身大です、道の左右に一対。
道祖神というか・・・もう少し古い中国の神像のようにも見えますが、
何なのでしょうかこれ。
雨ざらしでお顔がほとんどのっぺら君。
そこがまた、良い味を出しています。
この像のように何の解説もないものも多いですが、
中にはこんな感じで、解説板が並んでいるものも。
「石造 如来坐像 日本 鎌倉時代 12世紀末~13世紀」
ま、まてまてまてーい(笑)。
鎌倉時代の石像だなんて、そんな大切なものをこんな雨ざらし・・・
しかも、誰がどんな魔がさして、ちょっと失敬・・・して行かないとも限らない状態で・・・
太っ腹です、さすがお金持ち・・・。
また、こんな銅造の観音像も解説板なしで由来わからず終いで、
木立の陰に立っていました。
こころばかりの木造の屋根がさしかけられています。
写真ではわかりにくいですが、台座部分など、銅がしっかりはがれかけていました。
置物ばかりでなく、庭園内の石畳?には、なにやらやはり時代がかったものが再利用されています。
私などは何の素養もないので、何でしょこれ、面白いなあ・・・で通り過ぎますが、
おわかりの方にはさぞ興味深いのではないかと思います。
昨秋、新装開館なるまでの、古い時代には、
鬱蒼としすぎていて、足を踏み入れたら戻ってこれなそうだし、
ひとりふたり池にはまって溺死していても気づかれなさそうで、
昼間でも、たとえ人がいても(人がいるからこそ?)、
とても恐くて奥まで散策は無理でしたが、
(そして、そんなお庭をこそ、私は好きでもあったのですが)
ものすごく整備されて、とても気持ちの良い散策路になっていました。
それで、一番奥まで行くと、薬師堂なるものが。
狛犬や灯篭が並ぶ薬師堂・・・
横の石碑には、平成4年移転と刻まれていましたが、
これもまた、どこからの移転かなどの解説は、なし。
薬師堂というからには、中に薬師像が安置されているのかどうか・・・それもわかりません。
こじんまりと風情ある作りで、この写真の奥は竹林。
まさに都心の別世界です。
他にも、飛梅師祠なる、梅の枝しょってるしわしわひげひげの菅原道真像を祀った祠とか、
解説はなかったですが、どう見ても石棺を転用したつくばいとか。
とっても面白いです。
圧巻はやはり、この時期ならではの、かきつばた群生です!
うーん・・・こんな時は、ケータイではなく、おっきなカメラを持っていけばよかったと思うのですが、
なかなか・・・重いし・・・。
多少終りかけてはいましたが、目に鮮やかな紫が素晴らしかったです。
最後に、一番綺麗だった、池をはさんでのかきつばた。
・・・ひーん、全っ然わかりませんが、
水面に反射するやわらかな陽光が、手前の梢の端々をキラキラと光らせて揺れ、
奥のかきつばたの群生が静かにさざめく中、
池には鴨が涼やかに遊び、
鯉や亀までが五月晴れを喜んではしゃいでいるようでした。
おすすめの場所です^^
た・だ・し!
庭園内あちこちで、つまづいたり転んだり、池に何かを落とした悲鳴が満ち満ちていました・・・
お訪ねになるなら是非、足腰のしっかりしている間に・・・(^^;(笑)。
山種美術館への道-その2 [美術館のある街]
訪ねた日:2010.2.23
書いた日:2010.3.1
書いた日:2010.3.1
1月に書いた山種美術館、再度訪ねました。
JR恵比寿駅を出てすぐの、金網に囲まれた四畳半ほどの謎の緑地と、
その横を流れるコンクリで固められた川の向こうの公園、
もう一度写真にしてきました。
本当に小さなスペースなのに、何故金網・・・
植樹された樹は計6本、まだ芽も出ていませんでしたから、
何の樹かはよくわかりませんでした。
根元はサツキか何かの背の低い樹で埋まっています。
看板は手前の空き地のもの。
川の奥の公園では、この日も子供たちが遊ぶ姿が見られました。
三井記念美術館への道 [美術館のある街]
三井記念美術館。
東京、中野区にあった三井文庫別館には、
昔区内に住んでいたので何度か足を運んだことがあったのに、
平成17年に日本橋に美術館として移転してからは、訪ねたことがありませんでした。
はじめての美術館を訪ねるのは、ちょっと緊張するものです。
勝手がわかって行くのと、どこが入り口かすらわからずキョロキョロ探すのとでは、
気持ちの余裕が違います。
とりあえず、地下鉄銀座線三越前下車、A7出口から徒歩1分とのこと。
まあ、出れば案内板くらいあるだろう。
・・・と思ったら、A7出口の真正面に「三井タワー」の文字が。
探すまでもなく到着です、ほっ(笑)。
最近流行りの洒落た高層ビル、日本橋三井タワー。
その1階が入り口。
(なので地下鉄から直結で入ると、エスカレーターで1階まで上がる必要があります)
広々と明るい現代的なアトリウムに、田舎者としては場違いの恐縮さを感じながら、
案内に従って随分奥まった美術館直通エレベーターホールへ向かうと、
景色は一変、狭い日本的な空間にベンガラと縞格子の様な壁面、
懐古趣味たっぷりの凝った装飾のエレベーター。
階数表示が半分に割った昔の体重計の盤面みたいなやつだったりします。
ここはもう、隣接する昭和初期の重厚な洋風建築、三井本館の中。
美術館は、この重要文化財の建築の7階です。
写真撮るのが恥ずかしかったですが、三越デパート側から見るとこんな感じ。
手前が美術館のある三井本館、奥が高層ビルです。
ちなみに写真を撮ったのはちょうど昼時で、お勤めの方々がどっと街に出てきたところ。
特に若い綺麗なお嬢さん方の、
こんなところで何の写メ撮ってるんだ?このおばさん、と言わんばかりの、
怪訝な視線が痛かったです・・・ブログです、美術館へ行く道のブログですよ~(苦笑)。
展示室は古い食堂等を改装してそのまま使っているそうで、
たいそう趣があります。
日本美術の展示には雰囲気ぴったりです。
「弐代目・青い日記帳」さんというブログに、許可をとって撮影なさった展示室内と、
今回私が訪ねた柴田是真展の詳細があります。
リンク大丈夫なようですので、貼らせていただきますね。
「柴田是真展」
「柴田是真の漆×絵」(絵画・漆絵)
さてこの美術館内、三井本館の内装に手を入れたものの様ですから、
展示室の外の通路も趣深いです。
展示室に入らずにトイレの方向に歩くと、
広めの廊下の左右には、普通見るより大きくてダークな色味の扉がいくつか。
壁には案内や他所の展覧会のポスターが貼られているので、
なんとなく由緒ある大学の建物内、といった雰囲気もします。
トイレがまた、その重厚な扉を真鍮のハンドルで開けて入る、
なんとも心地良い緊張の走る作り。
中は現代的に使い心地も良いですが、
女性トイレの個室は扉が上下大きくあいた、
ちょっと昔のハリウッド映画に出てきそうな感じ。
圧巻は、錆び止めを塗ってあるので汚れますから触らないで下さい、
という張り紙とロープで通行止めとなっている、
旧図書室の扉、というもの。
どんな貴重図書が!?と驚く、巨大な金属製の扉で、
漫画か映画でしか見たことのない、銀行の大型金庫のような、
仕組みも不明の複雑で大きなハンドルがついています。
面白いです。
更にぐるっと回ると、ミュージアムカフェとショップ。
ここは反対側が展示室からの出口になっています。
ガラス張りの明るいカフェでは、お茶や甘味のほかに、
カニ蒸篭みたいなのや豚の角煮御膳のような、
おば様方のランチにぴったりのメニューもありました。
ショップはこじんまりとしていますが、
今回の特別展、柴田是真関連の書籍もそろえてあり、
是真の意匠を使った絵葉書、便箋、クリアファイルやシールにTシャツ、バッグと、
今時風に一通りそろっていました。
もちろん、オリジナルグッズや茶道、香道関連商品も、品良く充実しているので、
見ているだけで楽しくなります。
ここは以前から季節になると、三井家伝来のおひなさまの展示が有名です。
実はまだ見たことがないのですが・・・行きやすい場所で良い感じだったので、
今年は見てみようかな。
夏に平城遷都1300年記念事業の一環らしく、
「奈良の古寺と仏像展-会津八一のうたにのせて」
という特別展があるようで、まだサイトにもどの仏像が来るのかの情報も出ていませんが、
とても期待して楽しみにしています。
東京、中野区にあった三井文庫別館には、
昔区内に住んでいたので何度か足を運んだことがあったのに、
平成17年に日本橋に美術館として移転してからは、訪ねたことがありませんでした。
はじめての美術館を訪ねるのは、ちょっと緊張するものです。
勝手がわかって行くのと、どこが入り口かすらわからずキョロキョロ探すのとでは、
気持ちの余裕が違います。
とりあえず、地下鉄銀座線三越前下車、A7出口から徒歩1分とのこと。
まあ、出れば案内板くらいあるだろう。
・・・と思ったら、A7出口の真正面に「三井タワー」の文字が。
探すまでもなく到着です、ほっ(笑)。
最近流行りの洒落た高層ビル、日本橋三井タワー。
その1階が入り口。
(なので地下鉄から直結で入ると、エスカレーターで1階まで上がる必要があります)
広々と明るい現代的なアトリウムに、田舎者としては場違いの恐縮さを感じながら、
案内に従って随分奥まった美術館直通エレベーターホールへ向かうと、
景色は一変、狭い日本的な空間にベンガラと縞格子の様な壁面、
懐古趣味たっぷりの凝った装飾のエレベーター。
階数表示が半分に割った昔の体重計の盤面みたいなやつだったりします。
ここはもう、隣接する昭和初期の重厚な洋風建築、三井本館の中。
美術館は、この重要文化財の建築の7階です。
写真撮るのが恥ずかしかったですが、三越デパート側から見るとこんな感じ。
手前が美術館のある三井本館、奥が高層ビルです。
ちなみに写真を撮ったのはちょうど昼時で、お勤めの方々がどっと街に出てきたところ。
特に若い綺麗なお嬢さん方の、
こんなところで何の写メ撮ってるんだ?このおばさん、と言わんばかりの、
怪訝な視線が痛かったです・・・ブログです、美術館へ行く道のブログですよ~(苦笑)。
展示室は古い食堂等を改装してそのまま使っているそうで、
たいそう趣があります。
日本美術の展示には雰囲気ぴったりです。
「弐代目・青い日記帳」さんというブログに、許可をとって撮影なさった展示室内と、
今回私が訪ねた柴田是真展の詳細があります。
リンク大丈夫なようですので、貼らせていただきますね。
「柴田是真展」
「柴田是真の漆×絵」(絵画・漆絵)
さてこの美術館内、三井本館の内装に手を入れたものの様ですから、
展示室の外の通路も趣深いです。
展示室に入らずにトイレの方向に歩くと、
広めの廊下の左右には、普通見るより大きくてダークな色味の扉がいくつか。
壁には案内や他所の展覧会のポスターが貼られているので、
なんとなく由緒ある大学の建物内、といった雰囲気もします。
トイレがまた、その重厚な扉を真鍮のハンドルで開けて入る、
なんとも心地良い緊張の走る作り。
中は現代的に使い心地も良いですが、
女性トイレの個室は扉が上下大きくあいた、
ちょっと昔のハリウッド映画に出てきそうな感じ。
圧巻は、錆び止めを塗ってあるので汚れますから触らないで下さい、
という張り紙とロープで通行止めとなっている、
旧図書室の扉、というもの。
どんな貴重図書が!?と驚く、巨大な金属製の扉で、
漫画か映画でしか見たことのない、銀行の大型金庫のような、
仕組みも不明の複雑で大きなハンドルがついています。
面白いです。
更にぐるっと回ると、ミュージアムカフェとショップ。
ここは反対側が展示室からの出口になっています。
ガラス張りの明るいカフェでは、お茶や甘味のほかに、
カニ蒸篭みたいなのや豚の角煮御膳のような、
おば様方のランチにぴったりのメニューもありました。
ショップはこじんまりとしていますが、
今回の特別展、柴田是真関連の書籍もそろえてあり、
是真の意匠を使った絵葉書、便箋、クリアファイルやシールにTシャツ、バッグと、
今時風に一通りそろっていました。
もちろん、オリジナルグッズや茶道、香道関連商品も、品良く充実しているので、
見ているだけで楽しくなります。
ここは以前から季節になると、三井家伝来のおひなさまの展示が有名です。
実はまだ見たことがないのですが・・・行きやすい場所で良い感じだったので、
今年は見てみようかな。
夏に平城遷都1300年記念事業の一環らしく、
「奈良の古寺と仏像展-会津八一のうたにのせて」
という特別展があるようで、まだサイトにもどの仏像が来るのかの情報も出ていませんが、
とても期待して楽しみにしています。
山種美術館への道 [美術館のある街]
2009年秋、移転新開館なった山種美術館。
その開館記念特別展その2に行ってきましたが、まず到着するまでの道のりを、
ここは是非、書きたくなるのです。
徒歩で行こうとすると、最寄はJR恵比寿駅。
西口を裏のほうへ出て、駒沢通り沿いを青山方向へ10分ほど行ったところです。
この界隈、15年ほど前にガーデンプレイスが出来た頃から、
お洒落なお店がどっと流れ込んできましたが、
バブルの時代はまだまだごちゃごちゃした店の並ぶ雑多な街でした。
今でもその名残で、
ダーツ・ダイニングやらネイルサロンやら隠れ家的ビストロなどの洒落たお店の合間に点々と、
昔ながらの履物屋さんとか、カゴに野菜を山盛りにして売ってる八百屋さんとか、
着物も色あせ着崩れしたままのマネキンがほこりをかぶって立てかけてある呉服屋さん等、
昭和も中ごろの雰囲気を色濃くかもし出すお店が残っています。
とても懐かしくて、街をただゆっくり歩くだけでも、不思議な面白さ。
バブル崩壊がもう少し遅れていたら、これらのお店も開発の魔手に飲み込まれていたかと思うと、
残ってよかったと思うのは、部外者の勝手な郷愁でしょうか。
そんな街並みを楽しみながら、緩やかな坂道を上っていくのですが、
途中歩道橋を渡らせられたり、歩き慣れない道でもあって、
山種を目指す中高年は、少々疲れを感じるはずです。
その坂ももうすぐ登りきる、という時に、道沿いの建物に妙なものを発見します。
たいていの方が「目が点」という表現にぴったりな体験をするであろうものが、これ。
巨大ダビデ像・・・
トラックと比較してください、道からだと5メートル近くあるのでは。
二枚目は逆から撮ってみましたが、歩道は狭いため、いやおうなく目に入ります。
何の説明も出ていませんから、何故ここに、こんなものが、しかもこんなに巨大にあるのか、
非常に謎で、かつ、あまり見たくもないものがちょうど視線に入る位置に来ますから、
お上品に歩いてきた奥様方は、ちょっと会話に窮するかもしれないと想像すると、
心の中でくすっと笑ってしまうほどです。
ともあれ、これを見て呆然とするお陰で、歩いた疲れはふき飛びます。
ただし、お洒落なお店と昭和の郷愁にただでさえ繊細になっている心に、
このダビデ像がドーンと立ちはだかるので、頭がぐるぐる・・・
いったい自分が何をしにここを歩いているのか、
うっかり失念しそうな心元なさを感じるのが難点。
そんな時に目に入るのが、ダビデ像からすぐの交差点の向こうの、
このお店。
これまたなんとも懐かしい、食料品屋さん。
こんなところで発見するとは思わなかった、本当に古い形のお店です。
昭和の半ばに上京してきた年配の方にとっては、
地元に唯一こういうお店があって、今でいえばコンビにのように、
あれもこれも、このお店で買っていた、
そんな幼い頃の記憶を呼び覚まされるのではないでしょうか。
私の両親の出身地にも、ありました。
ほっとします。
実はこの背後に見えている綺麗な6階建ての建物が山種美術館なのですが、
たいてい、今まで書いたように内心オロオロと歩いてきたであろうおば様方が、
こちらを見つけてほっとして、一様に「山種はどこですか?」と聞いたのでしょうね、
その道の角には、こんな張り紙が・・・しかも洗濯バサミで、ちょこんと。
これも昭和な心遣いです。
新しくなった山種美術館の入り口は、もうすぐそこで、こんな感じです。
先の食料品店とこの入り口までの間には、間口1間、奥行き半間ほどの、
これまた古い八百屋さんと魚屋さんが、歩道ギリギリまで商品を並べています。
本当に、興味深い街並みです。
さて、そんなこの街、まだ私の心をひくものがあります。
恵比寿駅を出てすぐ、明治通りとの交差点での少し手前で、
本来深く切れ込んだ谷川だったのを、護岸工事でコンクリート固めにしてしまった、
無惨な都会の川を渡るのです。
水は底のほうをわずかに流れるのみ。
コンクリートの護岸は本来のくねる川の形をそのまま無理矢理覆った様で、
ミイラを思わせる冷たい不気味さです。
グーグルマップで見てみると、渋谷駅のあたりから古川橋のあたりまでは存在が確認できますが、
その前後はどうなっているのか、名前すら確認ができません。
でも、奥の右手、写真でわかりにくいのですが樹木の見えるあたりに児童公園があって、
遠目にも楽しそうに子供たちがブランコなどこいでいます。
通りすがりの赤の他人には、不気味な都会の顔でしかない、固められた川も、
この子供たちにとっては、遊び場の隣の懐かしい風景になるのだと思うと、
こう、アラ探しでもしていたようなわが心が恥ずかしくなり、
いつまでも平和であれと、大きな視点へ逃げてしまいたくなります。
この橋のすぐ脇で、この日は植樹工事も行われていました。
写真の左はしに写っている、緑の金網で囲われた、
4畳半程度の広さの場所。
なんで金網・・・なんでこんな狭いところに・・・
しかも樹木は大きいものだけでも5,6本準備されています、
小さいものは山積み状態。
密集しすぎやしないだろうか・・・謎はいっぱいだったものの、
帰りに無事植え込まれていた一本を、写真に。
この状態では私には何の樹かわかりませんが、
また次回山種美術館を訪ねる時には、芽吹いているでしょうから、
育つのを楽しみにしようと思います。
都内いろいろな美術館・博物館を訪ね歩いていますから、
それぞれの街に、なんとなく感じることはあるので、折に触れて書いてみようと思います。
でも、この、恵比寿駅を降りて山種美術館への道ほど、
心を刺激してくれる街はありません。
その開館記念特別展その2に行ってきましたが、まず到着するまでの道のりを、
ここは是非、書きたくなるのです。
徒歩で行こうとすると、最寄はJR恵比寿駅。
西口を裏のほうへ出て、駒沢通り沿いを青山方向へ10分ほど行ったところです。
この界隈、15年ほど前にガーデンプレイスが出来た頃から、
お洒落なお店がどっと流れ込んできましたが、
バブルの時代はまだまだごちゃごちゃした店の並ぶ雑多な街でした。
今でもその名残で、
ダーツ・ダイニングやらネイルサロンやら隠れ家的ビストロなどの洒落たお店の合間に点々と、
昔ながらの履物屋さんとか、カゴに野菜を山盛りにして売ってる八百屋さんとか、
着物も色あせ着崩れしたままのマネキンがほこりをかぶって立てかけてある呉服屋さん等、
昭和も中ごろの雰囲気を色濃くかもし出すお店が残っています。
とても懐かしくて、街をただゆっくり歩くだけでも、不思議な面白さ。
バブル崩壊がもう少し遅れていたら、これらのお店も開発の魔手に飲み込まれていたかと思うと、
残ってよかったと思うのは、部外者の勝手な郷愁でしょうか。
そんな街並みを楽しみながら、緩やかな坂道を上っていくのですが、
途中歩道橋を渡らせられたり、歩き慣れない道でもあって、
山種を目指す中高年は、少々疲れを感じるはずです。
その坂ももうすぐ登りきる、という時に、道沿いの建物に妙なものを発見します。
たいていの方が「目が点」という表現にぴったりな体験をするであろうものが、これ。
巨大ダビデ像・・・
トラックと比較してください、道からだと5メートル近くあるのでは。
二枚目は逆から撮ってみましたが、歩道は狭いため、いやおうなく目に入ります。
何の説明も出ていませんから、何故ここに、こんなものが、しかもこんなに巨大にあるのか、
非常に謎で、かつ、あまり見たくもないものがちょうど視線に入る位置に来ますから、
お上品に歩いてきた奥様方は、ちょっと会話に窮するかもしれないと想像すると、
心の中でくすっと笑ってしまうほどです。
ともあれ、これを見て呆然とするお陰で、歩いた疲れはふき飛びます。
ただし、お洒落なお店と昭和の郷愁にただでさえ繊細になっている心に、
このダビデ像がドーンと立ちはだかるので、頭がぐるぐる・・・
いったい自分が何をしにここを歩いているのか、
うっかり失念しそうな心元なさを感じるのが難点。
そんな時に目に入るのが、ダビデ像からすぐの交差点の向こうの、
このお店。
これまたなんとも懐かしい、食料品屋さん。
こんなところで発見するとは思わなかった、本当に古い形のお店です。
昭和の半ばに上京してきた年配の方にとっては、
地元に唯一こういうお店があって、今でいえばコンビにのように、
あれもこれも、このお店で買っていた、
そんな幼い頃の記憶を呼び覚まされるのではないでしょうか。
私の両親の出身地にも、ありました。
ほっとします。
実はこの背後に見えている綺麗な6階建ての建物が山種美術館なのですが、
たいてい、今まで書いたように内心オロオロと歩いてきたであろうおば様方が、
こちらを見つけてほっとして、一様に「山種はどこですか?」と聞いたのでしょうね、
その道の角には、こんな張り紙が・・・しかも洗濯バサミで、ちょこんと。
これも昭和な心遣いです。
新しくなった山種美術館の入り口は、もうすぐそこで、こんな感じです。
先の食料品店とこの入り口までの間には、間口1間、奥行き半間ほどの、
これまた古い八百屋さんと魚屋さんが、歩道ギリギリまで商品を並べています。
本当に、興味深い街並みです。
さて、そんなこの街、まだ私の心をひくものがあります。
恵比寿駅を出てすぐ、明治通りとの交差点での少し手前で、
本来深く切れ込んだ谷川だったのを、護岸工事でコンクリート固めにしてしまった、
無惨な都会の川を渡るのです。
水は底のほうをわずかに流れるのみ。
コンクリートの護岸は本来のくねる川の形をそのまま無理矢理覆った様で、
ミイラを思わせる冷たい不気味さです。
グーグルマップで見てみると、渋谷駅のあたりから古川橋のあたりまでは存在が確認できますが、
その前後はどうなっているのか、名前すら確認ができません。
でも、奥の右手、写真でわかりにくいのですが樹木の見えるあたりに児童公園があって、
遠目にも楽しそうに子供たちがブランコなどこいでいます。
通りすがりの赤の他人には、不気味な都会の顔でしかない、固められた川も、
この子供たちにとっては、遊び場の隣の懐かしい風景になるのだと思うと、
こう、アラ探しでもしていたようなわが心が恥ずかしくなり、
いつまでも平和であれと、大きな視点へ逃げてしまいたくなります。
この橋のすぐ脇で、この日は植樹工事も行われていました。
写真の左はしに写っている、緑の金網で囲われた、
4畳半程度の広さの場所。
なんで金網・・・なんでこんな狭いところに・・・
しかも樹木は大きいものだけでも5,6本準備されています、
小さいものは山積み状態。
密集しすぎやしないだろうか・・・謎はいっぱいだったものの、
帰りに無事植え込まれていた一本を、写真に。
この状態では私には何の樹かわかりませんが、
また次回山種美術館を訪ねる時には、芽吹いているでしょうから、
育つのを楽しみにしようと思います。
都内いろいろな美術館・博物館を訪ね歩いていますから、
それぞれの街に、なんとなく感じることはあるので、折に触れて書いてみようと思います。
でも、この、恵比寿駅を降りて山種美術館への道ほど、
心を刺激してくれる街はありません。