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東大寺大仏-天平の至宝 [美術館・博物館]

東京国立博物館 平成館
「特別展 光明皇后1250年御遠忌記念 東大寺大仏 天平の至宝」
会期:2010.10.8(金)~12.12(日)
訪ねた日:2010.10.15
書いた日:2010.10.20
★11.2(火)~11.21(日)まで、十数点が正倉院宝物と展示差し替えになります(その後はまた元の展示)

「東大寺大仏」とあれば展示品に何が来ていようといまいと、
行くに決まっています。
それで、まったく調べもせずにのこのこ出向いたのですが、
道中、はて・・・いったい何が来ているのかしらん・・・とちょっと疑問でした。

行ってびっくり!
メインとなる展示のひとつに、

八角燈籠

が来ているではありませんか。
東大寺大仏殿前に佇む、あの、音声菩薩の透かし彫りが美しい大きな燈籠です。
遷都1300年祭で奈良を訪ねる方の多い時に、持って来ちゃっていいんですかー!
という悲鳴が、少し前に三井記念美術館で開催された「奈良の古寺と仏像」展の時と同じように、
私の頭の中で谺しました。
今、大仏殿前にはレプリカが立っているのでしょうか、
それとも、すっからかんと何も置かれていないのでしょうか。

でも、いつもおおらかな陽の下、5メートル近い高さのある燈籠は、
その繊細な影の部分までは良く見えなかったものですが、
ここでは素晴らしくはっきりと見ることができたので、
素直に感謝致します。

特に、音声菩薩の透かし彫りのあるもののうち、東南の一枚、
昭和37年の盗難後、翌日見つかった時には周囲が破損してしまっていたため、
以来別途保管されてきたものが、今回一緒に展示されていたのが嬉しかったです。
目の高さでの展示でしたので、じっくりと見れば、
穏やかなお顔、波打って翻る天衣、優雅に体に絡みつく衣・・・
何もかも愛しくなります。
横から見れば本当にわずかな厚みしかない銅版に、
よくぞこれ程の馥郁たる絢爛さを与えられたものです。



さて、前後しますが会場のこと。
入ってすぐの部屋は出土品の陳列。
東大寺やその前身寺院から発掘された、瓦が並びます。
直前に訪ねた埼玉県立歴史と民俗の博物館でたくさん見てきた、
関東の初期寺院出土の古瓦の記憶と比較して、
一見して細工の繊細さが格段に上だと感じられます、こんなに違うのか、と思うほど。
中央と地方の差、もあると思いますが、これは時代の差でしょうか。
関東の初期寺院は飛鳥時代のものが多かったですから。


古代の軒丸瓦には蓮弁(蓮の花)模様が使われることが一般ですが、
時代が下るにつれ、花びらが1枚ずつのシンプルなものから、
二重になったり二重の中が更に2つにわかれていたりと、複雑になっていくそうです。
これも調べると楽しそうなのですが私は詳しくなくて・・・
それでも、見れば一目瞭然の差がありました。

余談ですが、古瓦は出土品ゆえに破損・汚損があって、
そのままではなかなか興味のひかれるものではありませんが、
拓本にとると、素晴らしく味が出ると思います。



さてその部屋を出ると「西大門勅額」が単品で出迎えてくれます。
ここからが現東大寺ですよという演出でしょうか。
縦3メートル近い木製の額に「金光明四天王護国之寺」と大きく刻まれた、
その文字は聖武天皇の筆と伝えられています。
過去何度も勿論見ているはずなのですが、
その丁寧で優しい文字にこれほど感じ入ったのは、今回がはじめてです。


このあたりから、去年の阿修羅展のように、会場全体に細工が施されてきます。
朱や丹というよりもっと目に鮮やかな赤と緑で柱や欄干が作られ、
天上からは五色の垂幡がいくつか下がっています。
展示品まわりは、こくと温かみのある独特の黒で印象的に強調されています。
垂幡などは特に、部屋に入るときに気づかなければ、
あとは見上げない限り目に入らないかもしれませんし、
今時こういう演出は珍しいものでもなく、みなさん気にせず展示品だけを見ていたようですが、
きっと、気づかないうちに、この演出が、古代の、聖武天皇・光明皇后の時代の、
何かの魂を呼び出してくれているのではないかしらと・・・
様々考えてご苦労なさっただろう主催の方々のお気持ちを思いながら、
しばし、その赤い色の中で立ち止まってくるくると周囲を見渡しておりました。


しかし、そんな演出とLEDライトの素晴らしさ故か、
居並ぶ伎楽面の数々が、テラテラと妖しい艶を出して妙に怖かったのは、
ちょっと自分でも予想外でした(笑)。


この部屋に、試みの大仏と呼ばれる小さな「伝弥勒仏坐像」
水盤に立った大きめの誕生仏として有名な「誕生釈迦仏立像及び灌仏盤」
鎮壇具などがあるのですが、壁面に埋め込まれたモニターで、
展示物の細部の映像を静かに流しているので、
その概要と、見るべき細部が自然とわかり、助かります。
灌仏盤の周囲の細かい線刻や、鎮壇具の小壷に施された息を呑むほど濃密な装飾などは、
たんぽぽの綿毛のように柔らかなライトやガラスケース越しにはそのままではしかと判別できず、
モニターで明解に見てから実物を見てやっと、ほのかに我が目に像を結ぶのです。
LED照明などともに、近年の展示で有難いことのひとつです。


続いて良弁僧正像と、僧形八幡神坐像にはさまれて、
最初に書いた八角燈籠は、この部屋にありました。


コーナーの最後には、経典がいくつか。
書も経もわからないので、普段ならさっと見てお終いですが、
五月一日経と呼ばれる、光明皇后御願経の一部と、
大聖武と呼ばれる、聖武天皇宸筆とされる経典が出ていたので、
心ひかれてゆっくり見てきました。

五月一日経とは、光明皇后が亡父母(藤原不比等、県犬養三千代)の追善供養と、
夫聖武天皇の御世の安泰と、
【自らは迷い苦しむ衆生の救済と法灯の無窮を誓って発願書写せしめた】
ものです(【 】内は文化庁の文化遺産オンラインより抜粋)
願文の末尾に「天平十二年五月一日記」とあるのでこう呼ばれ、
15年前後かけて7000巻ほど写経されたそうです。
現存するのは1000巻ほど。
光明皇后の想いを偲ぶ縁となる逸品です。
実際写経したのは写経所の写経生ですが、
書いた人の名前がわかっているものがあったり、
朱点や張り紙で訂正が入っているものがあったりと、
ちゃんと、その時代に生きていた人の呼気が、目に耳に感じられる気がするのです。

大聖武は「賢愚経」という、どうやら賢い人と愚かな人の寓話をまとめたものだそうです。
(なんだか耳が痛いです・・・)
この時代の写経には珍しい雄渾な筆跡のため、古くから聖武天皇宸筆とされていますが、
実際は唐人または渡来系写経生の筆だそうです。
波に乗ったような粘りのある豊かな筆致はたしかに宸筆であったらいいなと思わせます。

ところで、平成館から本館への通路の途中に、
いつも予想外に素晴らしい企画展をしていて嬉しい小部屋がありますが、
今回ここでは朝鮮・中国と日本の料紙、というタイトルでしたか、料紙の展示が出ていました。
ここに、東博所蔵の「大聖武」がこっそり並んでいました。
その中の「日」という文字に、
「墨でなぞって肉太な独特の書体に整えようとした痕跡」
があると言って引き伸ばした写真も展示されていまして、
見ればたしかに、私たちが習字で咎められる「なぞり書き」がされています。
こんなお茶目なことは、プロの写経生でなく、
そういう意味では自由の利く天皇の仕業のほうが自然では?
と考えた人が、私のほかにも大昔にいたのかなと思って、
見知らぬ遠い誰かさんに微笑んでご挨拶のひとつもしたくなりました。




さて、その次、後半の最初の部屋が、驚きました。
「大仏の世界」というタイトルで、バーチャル・リアリティ映像の上映会場になっていたのです。
普通、映像コーナーは順路から離れていたり、会場を出てからだったりと、
見たい人だけ見る感じですが、ここでは順路に組み込まれていて、
物理的には素通りも勿論可能ですが、見ないで進むわけにはいかない気持ちにさせます。
たしか上映時間12分と書いてあった気がしますが、会期後半混雑してきたら大丈夫かなと、
ちょっとそんなことを思いながら椅子に腰掛けました。

この映像が、大仏創建当時のものが残る蓮台の花弁に遺された、
あの三千大千世界の線刻の解説を中心に、
バーチャル・リアリティを使ってあらゆる角度から大仏を眺めわたし、
創建当初の大仏殿の予想図を眼前に提示する、というものだったのですが、
最初、宇宙の映像が、前のスクリーンをはみ出して天上いっぱいにまで流れたところから、
なんだか感極まってしまった私。
聖武天皇、光明皇后の目指したもの、大仏が体現するもののナレーションとともに、
小さな線刻の部分、ひとつひとつが、天上から降るように積もって、
やがて三千大千世界に集積していく演出に、すっかり涙ポロポロ・・・。
部屋が暗いのを幸い、涙の粒もそのままで最後まで見入っていましたが、
終了とともにぱっと明るくなったので当惑しました(笑)。
大仏のバーチャルリアリティー映像見て滂沱と涙する人も少ない気が致します・・・。



後半の部屋で印象的なのは、

「二月堂本尊光背」
絶対秘仏の二月堂本尊、十一面観音立像のもので、身光部のみです。
(頭光部もあるそうですが、来ていませんでした)
破片を台板に貼り付けた、原型も危ぶまれる破損度ですが、
細部まで非常に繊細でかつ安定した線刻は、形がどれほど壊れても、
変わらず古代の高い精神の香気を伝えて怖じることがありません。


「不空羂索観音菩薩立像光背」
三月堂本尊、不空羂索観音立像のものです。
これはよほど独特の形状なのでしょうか、何の予備知識もなかったのに、
この部屋に入って、目のはしに写った途端に、
あああ、不空羂索観音だ!と、声をあげそうでした。
無意識のうちに刷り込まれた形の力なのかもしれません。
御身の抜け出した光背だけなのに、自然と手をあわせたくなるものがありました。


それから聖武天皇念持仏という、小金銅仏「菩薩半跏像」
夏に三井記念美術館に来ていましたから、そのまま都内においでだったのでしょうか、
それとも一旦お寺へ戻られたのか。
小さな像が続けて二度も私の眼前に現れてくれて・・・
ガラスケースさえなければ、そっと両手で包んで、
古の人の心に触れてみたい気持ちでした。


最後の部屋は東大寺の再興に関する展示で、
平安から鎌倉に時代が変わる頃復興に奔走した「重源上人坐像」
江戸時代に尽力した「公慶上人坐像」
重源と関係の深かったという快慶作の阿弥陀、地蔵の2像などがありましたが、
最後の最後、出口の右側にテンと座っている像を見て、
口があんぐり開いてしまいました。

「五劫思惟阿弥陀如来坐像」(奈良・五劫院)

間違いありません、巨大アフロに下ぶくれのお顔、
三角おにぎりのおきあがりこぼしの様な体にはぶ厚く衣がまとっていて、
たしかに、御手が隠れています。
今年、遷都1300年祭の特別開扉もあったにも関わらず、
日程的にどうしても奈良に行くことができず、
断腸の思いで見ることを断念していた、あの、五劫院の阿弥陀像です。
同時代のもう一体、東大寺の、御手を合掌した五劫思惟阿弥陀像は、
過去何度か機会があって見ていて、夏の三井記念美術館でも再会していたのに、
よく似ているというこちらの像には一度も会えないでいた、
その憧れの像が、目の前に・・・。

嬉しくて何ものかに感謝すると同時に、
こんなに簡単に夢が叶っていいのかしらと、罰でも当たりそうで当惑しました。



今回、展示品は50点ちょっとでしたので、
ゆっくり見てもさして疲れない、私にはちょうど良い感じでした。
「東大寺大仏」というタイトルなのに、直接大仏に関するものは、
バーチャルリアリティーの映像だけ・・・と言う方もいらっしゃるかもしれません。
(会場を出た飲食コーナーに、大仏の手の実物大模型が置いてありましたが・・・)

でも、奈良の大仏って、物体としての仏像だけでなく、
遠い昔に発願した聖武天皇・光明皇后が願ったこと、
制作に携わった人々や、
その後もでっかいなー!と驚きながら大切にしてきた民草の思い、
この像の下で修行してきた人たちの誓い、
それから物見遊山ででかけたたくさんの普通の人々の気持ち、
そういうものを全て受け止めて包みこんで、そこにある、
そういうことこそ「奈良の大仏」なのではないかなあと思います。
ならば総ての展示品は「大仏」であって良いのだなと、
ちょっと意味不明ですがそんなことを思いながら会場を出ました。



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