東大寺大仏-天平の至宝(その2) [美術館・博物館]
先日訪ねた東博の東大寺展、展示替えで正倉院宝物が来ているので、
再度行ってきました。
展覧会全体のことは、前回のエントリーを見てくださいね。
さて、展示番号にしてわずか14点の入れ替えですが、
来歴ともども、しみじみと心に迫ってくる品々です。
まず、大仏開眼会に実際使われた、筆と墨、
そしてその筆に長く結ばれて、参列する多くの人々の手に握られたという、
縹色(はなだいろ)の縷(る)。
天平勝宝4年(752)4月9日、実際に菩提僊那(ぼだいせんな)という渡来僧が、
この筆に墨をつけて、大仏に眼を描き入れたと考えられているものです。
縹縷は、薄い青色の絹製の紐ですが、むしろ縄に近く思えます。
今はぐるぐる巻きに束ねられていますが、のばすと200メートル近いそう。
聖武天皇、光明皇后以下、どんな人々が、どんな思いで、
この紐に結縁し、菩提僊那の描く瞳に見入り、無事の開眼にほっとしたことか。
そしてこの、きっと百戦錬磨だったでしょう渡来僧も、
さすがに小さいとはいえひとつの国家の百官が集い、見守る中、
巨大な大仏の目玉を描き入れるというのは、毛のもさもさに生えた心臓だったとしても、
震えるものがなかったとは思えません。
そんな躍動する時代に生きた人々の記憶をたしかに留めたまま、
今静かに、枯れ果てた風情で筆と墨と紐だけが、テンと置かれて目の前にある。
泣かずに見ることなどできません。
筆と墨はまた、文治元年(1185)、つまり年表でいう鎌倉時代の始まる直前の、
再興大仏の開眼会でも使用されたそうです。
知識としての興味もさることながら、
受け継がれてきた思いの強さに、またしても涙なのです。
次にあるのは、聖武天皇遺愛の品として有名な、
﨟纈屏風(ろうけちのびょうぶ) 鸚烏武・象木(おうむ・ぞうき)
蝋を利用して布に模様を染め出したもので、
屏風といっても、今は手ぬぐいみたいに一枚ずつ、残っています。
1枚が鸚鵡、1枚が象を主題とした風景となっていますが、
昨今、鸚鵡ではなく別の鳥との調査結果が出たようです。
いずれにせよ、樹上におサルがいたり、騎馬の狩猟民がいたりと、
現在ですら、異国情緒を濃厚に感じる図象。
海外に行けるわけでなし、動物園があるでなし、
テレビもネットも想像すらできなかった生活で、
この、今は褐色に見えるただの布が、どれだけ人の心を慰めたかと、
遠く思いを馳せれば不思議な懐かしさをすら感じるのです。
それから、2種類の薬草と、それぞれの薬草を入れてあった保存袋、
そしてその薬草を使うための許可証のようなものと砂金の使用許可証、
桂心、桂心袋、人参、人参袋、沙金桂心請文。
桂心はケイヒのこと、人参は朝鮮人参のこと、現在でも漢方などでよく聞きます。
品物は要するに、感想した根っこと木切れ。
それで、以前なら、薬、へー。・・・でお終いだったのですが、
この春、奈良博の西山厚先生の講演を拝聴し、
これらの薬草が、聖武天皇亡きあと、つまり、
これを使って治してあげたかった夫を亡くした後、
光明皇后が、人々のために使ってほしいと、大仏に献納したものだと知って以来、
ただの根っこと木切れには見えない、何か愛情のこもった品物に見えてきました。
しかも桂心請文は、実際、施薬院からの、桂心を使い尽くして購入先でも在庫切れなので、
是非分けて欲しい、という内容の請文です(正確な文言は別です、私の意訳)。
これに対して、でかい文字で「宜」、つまり、よろしい、という、
許可の一字が書かれているのですが、この字が、
光明皇后か、その娘孝謙天皇か、次の淳仁天皇のいずれかだろうということです。
見れば見るほど、知れば知るほど、心にしみてきます。
それから、息のつまるほど手の込んだ毛彫り細工の素晴らしい銀壷、
斑模様の入ったサイの角でできた、花びらの様にあでやかで大きな、組み立て式の如意、
大仏開眼供養時の荘厳に使われたと思われる、金銅製の、雲と鳳凰の形の飾り板。
いずれも、現在普通には目にしない大きさ、装飾、品物なので、
はじめて見る人には不思議な迫力をもつのではないでしょうか。
できればもっと間近で、もっとじっくり、見て見たいのですが詮無い夢です。
最後に、麻布菩薩(まふぼさつ)。
今の正式名称は、明治時代につけられた墨画仏像(すみえのぶつぞう)というそうですが、
まふぼさつ、というなめらかな発音が気にいっています。
2枚の白い麻布を正方形に縫い合わせ、大風呂敷くらいの大きさにし、
そこに墨だけでサラサラと、雲に座り天衣をひるがえして飛来する菩薩像を描いたもの。
何に使われたのかわからないそうですが、
墨継ぎにも頓着しないおおらかな描線、
実は描き間違えたと思う程の描写の狂いがあるのに見事な安定感は、
完成を目標とした作品ではなくて、職人さんが手遊びに試した落書きなのかもしれないと、
いつも私は思います。
春ならば、優しい桜の風、
夏ならば蝉の声と水しぶき、
秋ならば深閑と降り積もる紅葉のしめやかさ、
冬ならば雪の止んだ朝の輝く陽光。
墨の仏画なのにそんな風景を感じさせてくれるのは、
日本人の心の中に畳まれた共通の何か懐かしい風情を、
この絵がもっているからなのかもしれません。
とても勝手に、そしてとてもざっと感想を書きました。
正倉院宝物が展示されているのは期間中でも11/21までですので、
いらっしゃる方はどうぞお早めに。
そして、いつも書いていますが、平成館から本館への通路の右側展示室で、
今は「東京国立博物館所蔵 正倉院の染物」をやっています。
明治初期に正倉院から、研究・保存のために各地の博物館、
特に帝室博物館であった東博に頒布された染織品がかなりの数あるそうで、
その一部が展示されています。
何故かいつも見ている方がほとんどない小部屋なのですが、
今回も、価値としては目が飛び出るほどすごい展示ですので、
ぜひぜひ立ち寄ってください。
再度行ってきました。
展覧会全体のことは、前回のエントリーを見てくださいね。
さて、展示番号にしてわずか14点の入れ替えですが、
来歴ともども、しみじみと心に迫ってくる品々です。
まず、大仏開眼会に実際使われた、筆と墨、
そしてその筆に長く結ばれて、参列する多くの人々の手に握られたという、
縹色(はなだいろ)の縷(る)。
天平勝宝4年(752)4月9日、実際に菩提僊那(ぼだいせんな)という渡来僧が、
この筆に墨をつけて、大仏に眼を描き入れたと考えられているものです。
縹縷は、薄い青色の絹製の紐ですが、むしろ縄に近く思えます。
今はぐるぐる巻きに束ねられていますが、のばすと200メートル近いそう。
聖武天皇、光明皇后以下、どんな人々が、どんな思いで、
この紐に結縁し、菩提僊那の描く瞳に見入り、無事の開眼にほっとしたことか。
そしてこの、きっと百戦錬磨だったでしょう渡来僧も、
さすがに小さいとはいえひとつの国家の百官が集い、見守る中、
巨大な大仏の目玉を描き入れるというのは、毛のもさもさに生えた心臓だったとしても、
震えるものがなかったとは思えません。
そんな躍動する時代に生きた人々の記憶をたしかに留めたまま、
今静かに、枯れ果てた風情で筆と墨と紐だけが、テンと置かれて目の前にある。
泣かずに見ることなどできません。
筆と墨はまた、文治元年(1185)、つまり年表でいう鎌倉時代の始まる直前の、
再興大仏の開眼会でも使用されたそうです。
知識としての興味もさることながら、
受け継がれてきた思いの強さに、またしても涙なのです。
次にあるのは、聖武天皇遺愛の品として有名な、
﨟纈屏風(ろうけちのびょうぶ) 鸚烏武・象木(おうむ・ぞうき)
蝋を利用して布に模様を染め出したもので、
屏風といっても、今は手ぬぐいみたいに一枚ずつ、残っています。
1枚が鸚鵡、1枚が象を主題とした風景となっていますが、
昨今、鸚鵡ではなく別の鳥との調査結果が出たようです。
いずれにせよ、樹上におサルがいたり、騎馬の狩猟民がいたりと、
現在ですら、異国情緒を濃厚に感じる図象。
海外に行けるわけでなし、動物園があるでなし、
テレビもネットも想像すらできなかった生活で、
この、今は褐色に見えるただの布が、どれだけ人の心を慰めたかと、
遠く思いを馳せれば不思議な懐かしさをすら感じるのです。
それから、2種類の薬草と、それぞれの薬草を入れてあった保存袋、
そしてその薬草を使うための許可証のようなものと砂金の使用許可証、
桂心、桂心袋、人参、人参袋、沙金桂心請文。
桂心はケイヒのこと、人参は朝鮮人参のこと、現在でも漢方などでよく聞きます。
品物は要するに、感想した根っこと木切れ。
それで、以前なら、薬、へー。・・・でお終いだったのですが、
この春、奈良博の西山厚先生の講演を拝聴し、
これらの薬草が、聖武天皇亡きあと、つまり、
これを使って治してあげたかった夫を亡くした後、
光明皇后が、人々のために使ってほしいと、大仏に献納したものだと知って以来、
ただの根っこと木切れには見えない、何か愛情のこもった品物に見えてきました。
しかも桂心請文は、実際、施薬院からの、桂心を使い尽くして購入先でも在庫切れなので、
是非分けて欲しい、という内容の請文です(正確な文言は別です、私の意訳)。
これに対して、でかい文字で「宜」、つまり、よろしい、という、
許可の一字が書かれているのですが、この字が、
光明皇后か、その娘孝謙天皇か、次の淳仁天皇のいずれかだろうということです。
見れば見るほど、知れば知るほど、心にしみてきます。
それから、息のつまるほど手の込んだ毛彫り細工の素晴らしい銀壷、
斑模様の入ったサイの角でできた、花びらの様にあでやかで大きな、組み立て式の如意、
大仏開眼供養時の荘厳に使われたと思われる、金銅製の、雲と鳳凰の形の飾り板。
いずれも、現在普通には目にしない大きさ、装飾、品物なので、
はじめて見る人には不思議な迫力をもつのではないでしょうか。
できればもっと間近で、もっとじっくり、見て見たいのですが詮無い夢です。
最後に、麻布菩薩(まふぼさつ)。
今の正式名称は、明治時代につけられた墨画仏像(すみえのぶつぞう)というそうですが、
まふぼさつ、というなめらかな発音が気にいっています。
2枚の白い麻布を正方形に縫い合わせ、大風呂敷くらいの大きさにし、
そこに墨だけでサラサラと、雲に座り天衣をひるがえして飛来する菩薩像を描いたもの。
何に使われたのかわからないそうですが、
墨継ぎにも頓着しないおおらかな描線、
実は描き間違えたと思う程の描写の狂いがあるのに見事な安定感は、
完成を目標とした作品ではなくて、職人さんが手遊びに試した落書きなのかもしれないと、
いつも私は思います。
春ならば、優しい桜の風、
夏ならば蝉の声と水しぶき、
秋ならば深閑と降り積もる紅葉のしめやかさ、
冬ならば雪の止んだ朝の輝く陽光。
墨の仏画なのにそんな風景を感じさせてくれるのは、
日本人の心の中に畳まれた共通の何か懐かしい風情を、
この絵がもっているからなのかもしれません。
とても勝手に、そしてとてもざっと感想を書きました。
正倉院宝物が展示されているのは期間中でも11/21までですので、
いらっしゃる方はどうぞお早めに。
そして、いつも書いていますが、平成館から本館への通路の右側展示室で、
今は「東京国立博物館所蔵 正倉院の染物」をやっています。
明治初期に正倉院から、研究・保存のために各地の博物館、
特に帝室博物館であった東博に頒布された染織品がかなりの数あるそうで、
その一部が展示されています。
何故かいつも見ている方がほとんどない小部屋なのですが、
今回も、価値としては目が飛び出るほどすごい展示ですので、
ぜひぜひ立ち寄ってください。
2010-11-04 16:37
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コメント(2)
すっと流し見てしまいそうな縷一つ、薬草一つにも、たくさんの人達の思いが詰まってるんですよね!
その当時の事に思いを馳せるのも、宝物展の醍醐味なんだと、まるささんの記事を読んで改めて思いました^^
by ★ASA☆ (2010-11-04 23:19)
♪ ★ASA☆さん、正倉院宝物は、世界最古の伝世品。
納められた当時の記録や、伝世の過程で出し入れがあればその記録も、
まとめて伝わっているものです。
その、人から人へ大切に伝えられた1300年の思いって、
知れば知るほど、はまりこんでしまいます。
こう、ただ綺麗、古い、珍しい・・・それだけでも感動できますが、
それ以上の感動が、勝手に沸いてしまうのです(^^;(笑)
by まるさ (2010-11-05 09:34)