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2009年・秋旅3 興福寺「お堂で見る阿修羅」 [寺・仏像など]

「お堂で見る阿修羅」

響きはとても魅力的。
お寺を巡り仏像を見ることが好きな者たちにとっては、
いつも国宝館で見るだけだった像たちを、
たとえ仮にでも興福寺のお堂内で拝観できるのは、
心躍るまさに垂涎の企画です。


でも、結論を先に書きます。


「お堂で見る阿修羅」ではなく、「お堂で見る博物館」でした。


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さて、正倉院展を出て、興福寺境内に到着、
目的の「お堂で見る阿修羅」のチケットを購入に向かうと・・・
そこにはチケットを買うだけで数メートルの行列、
嫌な予感とともに待ち時間を見れば、


150分待ち


・・・
共通拝観券で観覧の、北円堂も、1時間待ち。
今更ながら北円堂だけでもこの日訪ねておけばよかったのですが、
翌日が月曜なのですいているだろうと思ったことと、
北円堂は来年でもまた見ることができるからと、安易な結論で、
この日は、1500円でチケットだけ購入し、諦めて宿へ向かうことにしました。


そして翌日。
諸事情で興福寺に到着したのは10時を過ぎてしまいました。
でも、月曜だし~・・・のお気楽さは、
仮金堂が見えたとたんに暗澹たる憂鬱へと転換。
待ち時間は、


180分


となっていました。


仕方ない、並びます、並びましょうとも!
奈良にいるだけでも嬉しい私、まして興福寺の境内ですから、
この地に足が接しているだけで、充分幸せなのです。
・・・気持ちでは本気でそう思って上機嫌でしたが、さすがに、
じわじわ動きながら1時間半もすぎれば、腰が折れそうに痛くなり、
穏やかな秋の陽射しは若さを失った体から水分まで天に吸い上げてしまい、
体力的にはとても辛かったのは間違いありません。

でも、もっとお歳をめした方のほうが多かったですから、
倒れる方を見かけなかったのは、仏たちの加護でしょうか。
また、一番ご苦労なのは、旗を振っているバスツアーのガイドさんだったかと。
この時期のツアーとなれば「お堂で見る阿修羅」は目玉でしょうから、
3時間待ちとて省略するわけにもいかないでしょうし、
ちょうどお昼にもかかる時間。
どのガイドさんも、いつ見ても携帯電話片手にペコペコ頭を下げてらしたのが、
ちょっとかわいそうでした。



幸い2時間半ちょっとで仮金堂入り口に到着。


ところで、仮金堂とは、旧講堂跡地に建っている、正面九間寄せ棟作りの建物、
興福寺にあってはむしろ簡素なお堂です。
昭和50年に、不要になった薬師寺旧金堂を移築したもの。
(室町時代の建築物)
それだけでもややこしくも由緒深げですが、
更に手前の今はなき仮堂(中金堂)に安置されていた、
釈迦如来と、薬王薬上両菩薩(重文)、それに四天王像(重文)が納められました。
(いずれも木造)

国宝天国の興福寺にあって、国宝がないためか、場所柄か、
はたまたこの中途半端なお堂の来歴ゆえか、
いつも閑散と人の少ない場所でした。

はじめて訪ねたのはいつでしたか、
広々と風渡る堂内に、正面の堂々とした釈迦像・・・はあまり印象に残りませんが、
脇侍として並び立つ薬王・薬上両菩薩の、3メートル半もの大きさと、
鎌倉時代にある女性の菩提を弔うために作られたという説明を見て、
静かに強く心打たれたものです。

以来、興福寺を訪ねるたびに、時間さえ許せば必ず寄る、
とても好きな場所となりました。


そんな堂内に、国宝館でしか会えなかった八部衆と十大弟子が、
この時期だけ一緒に並ぶというのです。
取り合わせとしては最高なのですが、さて・・・



待望の堂内に一歩踏み出すと、
常とは違ってかなり暗い中、釈迦と二菩薩像はほぼ元の場所に、
四天王像はもしかしたら少し後ろに押しやられた感じ。
そして須弥壇の手前ぎりぎりの位置取りで、
中央に阿修羅、その左右に八部衆と十大弟子(現存六体)が、
何故か交互に、しかも弟子たちは一歩引いた位置に、
ぐるりと安置されています。
像はおおかた手前を向いていますが、
右端の鳩槃荼(くばんだ)と左端の緊那羅(きんなら)だけは外側を、
つまりそれぞれ右と左を向いての配列です。
(須弥壇がもとからあったかどうかは情けなくも記憶が定かでありません)


最初に頭に浮かんだ一言は、迷わず、

「変・・・」

それは見慣れた堂内が一変していたせいだけではなく、
明らかに時代も雰囲気も異なる像が一緒にされていたということと、
見たこともない配列だったせいが大きいのですが、
でも、そういうお堂はいくらかある中、特に「変」と感じたのは・・・

背後のどちらかといえば巨像の、豊かに肉付いた人間的な姿に対して、
ぐるりにこれ見よがしに並べ立てられた十四の像が、
あまりに細く、華奢で、かつ姿態も不自然に硬直して見え、
あたかもお人形さんを立て並べたように侘しく見えてしまったから。

古い史料や経典などに出ている安置のし方とは違い、
ひたすら阿修羅さまさまで並べているのだから、変に感じるのが当然かと思いました。

でも、ここからが不思議です。
薄暗いとはいえ、東博では高い位置にあったものがここでは視線の高さとして自然でしたので、
じっと見続けていると、いつか八部衆と十大弟子のほうが大きく見え、
果ては後ろの、このお堂のもともとの主たちが、視界から消えてしまうほど、
身内いっぱいに広がりました。
格の差なのでしょうか・・・ただ私が八部衆を好きなためでしょうか。



こう書くと、まるで堂内ではゆっくりできるかの様に見えますが、
いらした方はおわかりの通り、外の行列同様、中も悲惨極まりない状態でした。

中は大きく3つ折りの行列です。
まず向かって右手から入り、一旦須弥壇近くまで進んだ後、
ぞろぞろ列をなして最後方の一段高い場所まで戻ります、これが1折め。
昨今東博でよく見かける、スロープを使った観覧ルートです。
ここでゆっくりしたい人は立ち止まることも可能ですが、
ほとんどが素通りせざるを得ないまま堂内左手に下り、
今度は右へ戻るようにうねうねと行列、これが2折めとなります。

最前列の3折めは、やはり昨今の東博にならってか、
一番前が素通りコース、その手前が立ち止まっても良いコースなので、
スロープから下りて右の2折めへ向かう時に、
素通り最前列希望者は右側、立ち止まり2列め希望者は左側へと、
並び変えなければいけません。

そして、堂内は、何人もの係の方の、
「立ち止まらないで下さい」「割り込まないで下さい」「一方通行ですから戻らないで下さい」
「お急ぎの方は右へお進み下さい」「壁際に寄ってください」
の大音声。
・・・お寺の方もたくさんの人をさばき、かつ文化財に害のないよう必死ですから、
東博あたりの人気展より更に強烈な声が間断なく満ち満ちていました。

しかし一番驚愕したのは、
「お賽銭は手前の賽銭箱へお入れ下さい、仏像に投げる方がいらっしゃいますがお避け下さい」
えええええ!?仏像に!?投げる!?やめてください(大泣)、
ちょっとの過ちで、あの像たちのどこかが欠けでもしたらと思うと・・・
ただでさえ今にも崩れるのではないかと不安な乾漆像、
こんなばかげたお祭り騒ぎで破損させては、ご先祖様にも未来の子孫たちにも、
どう言い訳ができるというのでしょう。


「お堂で見る」
と言われた時、私たちの誰もが、心静かに仏像の前に佇み、
静謐な宗教空間の中、様々な思いを抱きながら像と対峙し、自然と頭を垂れるに至る、
そんな時間をこそ、夢にみるものではないでしょうか。
蛇のごとく並ばされ、立ち止まることも許されずに追い立てられ、吐き出される、
そのどこが、「お堂で見る阿修羅」と言えましょう。
場所が変わっただけの博物館です。

誰を責めることもできませんが、おそらくお寺の方の思惑とも離れて、
「お堂で見る博物館」状態となってしまったのが、
まさに阿修羅像の人気ゆえのことだとは、切ない皮肉です。

そのかわり、興福寺再建建立のための資金集めとしては、
思惑以上の効果があったのでは・・・
瓦一枚寄進するでもない不信心者としては、この騒ぎに乗せられてでも、
多少のお役にたてるのなら、それもいいかなと思う気持ちもないではありません。

それから。
おそらくこれでお役御免となるであろう、仮金堂、
いつも閑散としていたのですから、
最後に続くこんな満員御礼の華やかな日々は、
良い手向けとなるに違いなく、それだけは少し嬉しいのです。



思い出してもため息の出る惨状でしたが、博物館と思えばむしろ雰囲気抜群。
逆転の発想。
それに、仮金堂は充分広いですから、行列を抜けてお堂のすみに退避すれば、
他の方の邪魔になることもなく、佇んでいることはできました。
場所は限られ、また、像は柱や行列に隠れて見えたり見えなかったりもしましたが、
あちらの隅に、こちらの陰にと退避を繰り返し、
堂内には1時間ほどいることができました。
以下はそんな中での乱暴で勝手な感想です、
そう見えた者もいた、という程度です。


阿修羅も好きですが、ここでは、綺麗すぎます。
透明で無表情でした。

十大弟子はみな、苦虫を噛み潰した表情でした。
何度見ても、そう見えました。

あの、どこで見てもいつもほんのり愛らしい微笑みを絶やさなかった、
沙羯羅(さから)ですら、この日は呆れた様に不機嫌な顔をしていました。

迦楼羅(かるら)もまたとがった口を更にとがせらせて、むくれていました。

そして私が一番好きな、五部浄。
怒っていました、ものすごい勢いで、怒っていました。
肩から上しか残らないのを、他の像の足元の位置に安置されていましたから、
最前列をたどればまさに目の前です。
思わず身を乗り出して、小さい子に話しかけるように、
「怒っているの、そう、怒っているのね」
と、語りかけて、すぐに、しまったと首をひっこめました、
私などが赤ちゃん言葉で話しかけていい方ではありません。

この五部浄と、前から二列めに立ち止まって対峙するのが・・・
その遠くを見据える目の、まっすぐ先に立つのが、恐くて恐くて・・・
射すくめられる思いで、そっとその視線に入れば、
胸の痛む程のものすごい重圧で押しつぶされそうでした。
今思い出しても、心に何か、強いものが差し込んできた、
あの短い時間をはっきりと感じられます。


最後に、お堂を出なければならないその間際、再度この空間を見渡せば、
やはり、ぬぐい切れない変な違和感でいっぱいでした。

排出される、という表現しかあてはまらない状態で堂外に出された後、
我知らずふらふらと足が向かったのは東金堂。
昨今ここもまた人は多いとはいえ、狂い咲きのような行列とはまだ無縁。
ほの暗くも風通る静かな堂内で、やっと息がつけた気がして・・・。


それから、新ライトアップなったという北円堂は来年以降の楽しみとして、
西ノ京へと向かったのでした。



09110811hito.jpg

秋空の下の仮金堂と180分待ちの列



09110813nannen.jpg

再建中の中金堂基壇越しの南円堂



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仮金堂と、再建中の中金堂基壇越しの東金堂と五重塔 仮金堂を出てすぐのこの一瞬、この角度でだけ、 視界に人が入らない至福の光景を目にすることができました

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